エッセイコーナー
71.Honesty   2014年2月8日

世の中は、詐欺師やペテン師、人の弱みにつけこんでは陰口を叩き、弱い者イジメを平然とやり、「自分さえ良ければいい」と云った自己中心的で不誠実、虚偽や欺瞞がはびこり、常識化しているのが社会であり世間というもの、なのだろうか? だとしたら非常に悲しいことだ。
そんなことを抱えながら、「誠実、という語は虚しい語だ」と、ピアニストでありロック歌手のビリージョエルが、1978年のアルバム『ニューヨーク52番街』発表の代表作『オネスティー』で歌って(私見)いる。
もっとも、当時のアメリカ社会の実情を歌ったものだと思うが、今日の日本も似たり寄ったり、また、何時の世も同じようなものだ。

「過ちは改むるに憚ること勿れ」
過ちは誰にでもある。どんな大人物でも、優良な大企業であれ、或いは国家とてその例外ではないだろう。
従軍慰安婦問題など、事実は違うと信じているが、戦時中の混乱による異常な精神状態の中とはいえ、もし仮に、軍の強制的行為によって性行為の強要があったとするならば、その愚行は決して許されることではないだろう。
しかしながら、たとえそれが事実であったとしても、タイムマシンやタイムトンネルでも無い限り、その当時に戻り、
「やり直しのしようがない」という現実を考慮すれば、過ちを過ちと認め、再三再四その償いを終え、精算した筈の国や者に対し、寛容の心を持って接することが必要だといえるのではないだろうか。

アメリカバージニア州での教科書(東海)掲載問題など、米国に於ける韓国系アメリカ人の活発化するロビー活動や、先日起こったフランス南西部アングレームの国際漫画祭での騒動など、日本海を挟んだ隣国による執拗なまでの対応、反日感情による日本バッシングに懸念を抱くばかりだ。
このままでは何時までたっても、正常な友好関係など築くことは不可能であり、寧ろ、益々エスカレートすることによって、絶対にあってはならない、絶対にやってはいけない過ちを、また繰り返す可能性を否定できるものではない。

話がどんどん飛躍してしまった感があるが、ビリージョエルが歌うように、たとえ世の中が不誠実であったとしても、虚しい言葉かもしれないが、「誠実」という言葉をよく噛みしめながら、大切にしていきたいものだ。
ここ最近、通勤時には毎日のようにこの曲を流し、車の窓を閉め切った状態で目いっぱい発声し、完璧に歌いこなせるようになりたいものだと練習してはいるが、如何せんビリーのような高音域が出ず、特に最後「hardly ever heard」の部分がどうしても上手くいかない。
毎日歌っていれば何時かは?、と思ってはいるが、流石に声質までは無理のようだ。 


  北帰行

そのうち、何時かは私が歌うオネスティーをご紹介したい。因みに、以前録音した「ハナミズキ」はこちら>>

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