エッセイコーナー
592.なくならないイジメ問題  2021年5月15日

実に悲しい、実に惨いイジメ事件があった。
被害者の女子中学生(2年)が、今年3月23日、雪が積もる旭川のとある公園で凍死の状態で発見された。
冷たかったろう。寒かったろうな・・・。

凍死した女子中学生は、公園で知り合った上級生らに数か月間に及ぶ性暴力を受け、精神的に追い詰められて自殺したものとみられている。
イジメを受けている期間内に、母親や本人が何度も学校側に相談を持ち掛けたそうだが、何の解決にも至らなかったどころか、担任の教師に相談したところ、「デートがあるから明日にしてほしい」と告げられ、相談を拒否されたとのこと。常識では全く考えられない。教育者としての資質が問われる・・・。

また、2019年6月22日のことだが、集団性的暴行を受けた際に、自暴自棄となって近くの川に飛び込む自殺未遂を起こした。幸い学校関係者や警察が駆けつけ事なきを得たとのことだが、その未遂事件を機に、被害者が通う中学校は加害生徒に聞き取り調査を行い、結果を冊子に纏めたとのことだが、被害者側には開示されなかったと云うのだ。
また、当中学校は、弁護士同席による話し合いにも難色を示したそうである。
それらの惨いイジメ事件の詳細については、文春オンラインに詳しく載っている。

残念なことだが、同じような性的暴行を受けた悪質なイジメ事件が、同じ旭川で1996年にもあった。
その時の教訓が活かされていなかったと云うことになる。
それら両事件に於いて、学校側の怠慢な姿勢を非難するのは当然だが、やはり一番は加害者に対する厳しい態度が必要ではないだろうか。
未成年者、なかでも小学生を含む子どもらと云うこともあって、将来性を考慮する観点から、あまりにも強攻な姿勢は考えものだが、しかしながら善悪の判断がつかない子どもらに対しては、ぎりぎりの厳しい指導が必要であると私は思う。
但し、厳しい指導の際には、皆の前で恥をかかせるような「みせしめ」的な指導は絶対に避け、逃げ道を作っておきながら、校長や副校長、担任程度の少人数で厳しく指導することが望ましい。

また、「教員は読み書きだけを指導すればいい」とする云わばサラリーマン化が進み、「生徒をなんとかしたい」と情熱を持って教壇に立つ先生、つまり熱血教師が、教職員の間で逆に煙たがれる存在になっているとの指摘もある。
酷いところではエレジー(異端者)扱いする学校もあるとか。
その原因の一つに、教育を取り巻く社会環境に問題があると考えられる。
嘗ての熱血教師は、生徒らに注意したにも係わらず、とぼけた態度をとる生徒に平気でビンタを喰らわしたものだ。
勿論、本来であれば体罰(愛のムチ)など出来ることなら避けるべきだが、その為には徹底した道徳教育が必要になってくる。

全てに於いて、性悪説でみるべきだとは思わないが、事の善悪は教えなくとも分かるものだという考えはあまりにも楽観的過ぎるように思う。
集合的或いは社会的な次元として、規範となるのは倫理だが、共同生活を行う上で、個人の内面的な規範として道徳は必要不可欠である。
学業は勿論大事だが、それ以上に、人間としての道を説く道徳教育をもっと充実させるべきだ。
いくら勉強ができ、成績優秀で最高学府に進み、国家の中枢を担うようになったとしても、権力を握る一部の人間に媚び諂い、忖度し、国民の窮状には目をむけず、我田引水、厚顔無恥、牽強付会な小人物になっては何の意味もない。

参考:いじめ防止対策推進法の(平成25年法律第71号)第4条に、虐めはしっかりと禁じられており、また、加害生徒らに対する懲戒処分等については、校長及び教員による懲戒として「第二十五条 校長及び教員は、当該学校に在籍する児童等がいじめを行っている場合であって教育上必要があると認めるときは、学校教育法第十一条の規定に基づき、適切に、当該児童等に対して懲戒を加えるものとする」と懲戒について言及されている。


フォト短歌「ポーポーの花」

日本国憲法 第16条「請願法」に基づいた【100万人の署名活動】


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