エッセイコーナー
158.火災防御訓練「舞草神社」  2015年12月7日

昨日は地元消防団による火災防御訓練があった。
私の所属は一関第7分団第一部。なかなか若い人材が集まらず、私らのような中年層が駆り出されるといった憫然たる現状だが、かといって訓練を怠る訳にはいかない。何故ならばもしもの時に役に立たないからだ。
火災予防の広報活動のみならず、出来るだけ参加するよう心掛けている。

今回の訓練も、昨年同様ホース先端部の筒先係として放水の先陣を切った。実践さながらの訓練とあって真剣そのもの。
今年の訓練場所は舞草神社である。
過去に1度だけ訪れたことがあるが、「こんなに遠かったか?」と消防車に同乗の団員らと述懐しながら、その順路を確かめ、細い砂利敷きの林道を慎重に進んだ。

訓練開始は午前9時。
社務所に火の手が上がったという設定で始まった。
舞草神社と云えば、知る人ぞ知る神社で、日本刀の研究者や刀剣を趣味にする人らにとっては熟知の場所だろう。
神社の境内から西の方角を見渡せば、弓弭(ゆはず)の泉を源に、流路延長約249km、流域面積10,150km²の東北最大、全国では4番目の一級河川、北上川の悠々とした流れが確認できる。その北上川の対岸には2011年6月に世界文化遺産に登録された古都・平泉町が一望できる。

今から一千年程前、この地を一世紀余も平安と栄華を築きもたらした奥州藤原氏(藤原清衡・基衡・秀衡)の時代、当神社界隈には刀鍛冶の集団が居を構えていた。
北方の王者として全国に名を轟かせ、慈愛に満ち、武勇に優れ豪傑の誉れ高き藤原秀衡公の棺には、この刀鍛冶らが作った舞草刀(もくさとう)が収められていることから、舞草刀に対する寵愛の様が伺えよう。

舞草刀は、それまでの主流であった直刀に対し、湾曲を基調とする湾刀を世に初めて出したことから、湾刀が主流の日本刀の源流として知られている。
その舞草刀に縁のある舞草神社は、西暦807年(大同2年)に創建され、過去に3度の火災に遭っている。
刀剣研究者や地元民にとっても貴重な財産であり、子々孫々に伝え、守らねばならないという使命感を大義に、地域貢献の一助となることを願うばかりだが、本音を云えば、兎にも角にも若い連中の消防団入りを願って止まない。
日本全国殆どの消防団は人手不足、後継者不足に悩んでいる。中でも我が一関第7分団第一部の団員は非常に少ない。
是非とも、気骨ある(なくともOK)諸君らの参加を待っている。

追記
火災防御訓練から戻り、屯所内に消防車を入れようとしたが進入路が塞がれていた。同じ敷地内の一関文化伝承館で伝承芸能交流会があったとかで、駐車場には溢れんばかりの車が止まっていた。
緊急時の出動に妨げとなる行為や、防火水槽や消火栓の近辺には車を停めないようご注意願いたい。


フォト短歌「舞草神社」 バケツリレー 防火訓練

 

 

 


その他の写真>>


                    【平泉FAN-TV】平泉のススメ# 53 奥州藤原氏を支えた刀 〜舞草刀〜


≪return    Tweet   
 スポンサード リンク (Sponsored Link)