エッセイコーナー
269.防災対策の一環として  2017年11月4日

近年あちらこちらで洪水などの水害に関するニュースが、テレビ画面を占領する場面が増えたように感じる。
局所的に集中する豪雨、ゲリラ豪雨なる特異(今では一般的)な自然現象の造語を頻繁に耳にするようになった。
それも地球温暖化の影響だろうか。となれば、自然災害と云うよりは人災と云うべきか、政治的な判断ミス、欠陥による人為的な問題と云えるのではないだろうか。

ただ、政治的欠陥による人為的な問題はそれだけではあるまい。
中山間地(里山)の農業政策もそのひとつと云える。
今、急速な勢いで中山間地の田畑が休耕田となり、耕作放棄地となっている現状がある。
ひと昔前までは、春になると田んぼに水を引き込み、お田植えを待つ水田は鏡田となって日中は山容を映し、満月の夜は田毎の月となって見る者の目を楽しませ、心に幻想の観念を呼びおこしてくれる。

水田は雨水や湧き水を蓄え、河川の激流を一時的に緩和するなど、山地間の水脈の受け皿となるダムの役割りを担っており、水田と対をなす溜池や用水路など、一時的に洪水を抑える役割りを果たしてきた。
また、耕作放棄地の拡大に伴い、獣害の継続的多発も深刻な問題に発展している。

日本の水田は中山間地及び平野部の水田を含めると約280万ヘクタール、約60億トンもの水量を溜めることが可能と云われている。300箇所以上の洪水調整ダムの約4倍の貯水能力があるとのことだ。
また、水田に溜められた水は、涵養により地下水となり、その60%が河川に緩やかに放出されるとも云われている。
そのように、水の反乱、水害対策には中山間地の水田の存続が必要不可欠だと云っても過言ではない。

大都市への集中傾向を抑え、経済活動一辺倒の大規模営農の促進にばかり目を向けていると、真の防災対策はなおざりとなり、惨憺たる結果をもたらすのではないかと私は思う。
中山間地の圃場をしっかりと守り、存続できる政策を早急に検討する必要があるのではないだろうか。日本の農業政策は、災害対策の一環として、政治の賢明な判断を必要としているのではないだろうか。


フォト短歌「虹」  
     
フォト短歌「望月」


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