エッセイコーナー
804.逆転の発想による地方創生  2023年4月21日

以前「逆転の発想」と題して岩手県知事に提言したことがある。
高齢化が進む今日、若者らの招聘に力を入れることは勿論良いことだが、逆転の発想で、「全国から老人を招き入れたらどうか」との内容の提言だった。
と云うのも、東日本大震災により、沿岸部では多くの犠牲者を出した。
また、内陸部でも新聞の慶弔欄を見ると、誕生欄より遥かに死亡欄の方が多い。年々人口が減り続けているのだ。
喩え新生児が生まれ、慶んだとしても、やがて大人になれば都会へと旅立っていく。
地方は益々疲弊するばかりなのである。

そんな状況を打開し、将来を見据えるとやはり若者を呼び込みたくなるのはやまやまだ。
しかしその為には受け皿となる産業が必要だ。ところが、全国的に見てあまりにも競争率が激しい。
その為、勿論、若者を呼び込む為に産業の構築と同時並行で、高齢者の理想郷、イーハトーブならぬオードレンパラダイスを作ると云った、限界集落を逆手に取った発想で、提言したのだった。
況してや当時、多額の復興予算も組まれていた。
しかしながら、姥捨山の印象が強かったか、一笑に付されたようだ。12年経った今でも進展は見られない。

当地、岩手県は自然の豊かさや食材の豊富さ、清浄な空気に包まれており、幸か不幸か、温暖化の影響なのか以前と較べると冬も過ごしやすくなったように感じる。
特に私の住む一関市は、総面積約125千ヘクタール、その内約8万ヘクタールを森林が占め、静かなやわらぎに充ちた自然と人工とが調和した美しい光景を誇れる土地柄である。
近隣には世界遺産の平泉や景勝地厳美渓、日本百景の一つ猊鼻渓もある。
また、7月になれば、5百種6万株以上の紫陽花が咲き誇る日本一の「みちのくあじさい園」もある。

また、自然と名勝、清浄な空気のもとで、一関地方独特の食文化も生まれている。特に伊達藩から400年来伝わる独特な餅食文化は、広く世に知られている。
それらの利点を活かし、定年後の第二の人生を、のんびり、ゆっくり、長閑に暮らせるような、パラダイスの創造を念頭に置くべきではないかと私は思っている。
老人、高齢者、いや、呼び方が悪い。「シニア世代」を呼び込んではどうかと思うのである。
シニア世代は経験や知恵も豊富、地域の文化水準の高まりも期待できる。

勿論、老後の資金も蓄えているだろうことから、それなりに消費も増え、地方の景気対策にも繋がる。
一時期、「限界集落」なる悪印象のワードが広がった。また、「高齢者は集団自決すべきだ」との戲言、愚言が公然と叫ばれるようにもなった。
逆転の発想を持って然るべきであると私は思う。
そこで問題なのが財源論だ。
国と異なり、地方自治体には通貨発行権がない。

したがって、財源は地方交付金や、足りない分は国からの借金と云うことになると思うが、問題は国自体の財政観、貨幣観を正してもらう必要がある。
しかしながら現状は緊縮財政をよしとする勢力が要所を占めている。
現状は厳しいと云わざるを得ないが、例えそれが実現出来なかったとしても、将来を見越しての投資は十分に有益であると私は思う。とは云え、確かに先行投資への決断は勇気が必要である。
ただ、一関市には全国で初の、跡継ぎを必要としない永代供養の樹木葬がある。
終の棲家として、一関で骨を埋めたいと、定年後に一家で引っ越して来る人たちもいるようだ。
地方の再生を念頭に置くならば、発想の転換が必要であり、逆転の発想が地方創生、地方再建の鍵を握るのではないだろうか。


フォト短歌「木の芽つわり」 フォト短歌「なるようになるさ」


昨日、父が久方ぶりに自宅に戻ってきた。約3年ぶりになるだろうか。
介護老人福祉施設に入所して間もなく、新型コロナの蔓延により、面会すらもままならない状況となった。
92歳の父だが、最近、栄養の吸収も厳しくなってきたこともあり、施設の図らいにより一時帰宅が叶ったのである。
私は事あるごとに父の様子を窺うことが出来たが、足腰が不自由になってきた母は、父と会うのは約3年ぶりとなる。
父は、話はおろか、目を開けることすら出来ない状態だが、自宅に戻り、母の呼ぶ声に反応してか、薄っすらと目に泪を浮かべていた。



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