エッセイコーナー
2.一日一善  2007年11月15日

最近このコーナー『世に問う 言わずにはいられない』への書込みが遠のいていたが、楽しみにして下さっている方もいるようなので、又復活したいと思う。
民主党の党首の問題やら、防衛省元事務次官の問題やら、ガソリンの高騰やら言いたい事は山ほどあるが今回は「一日一善」に付いて触れたいと思う。と言うのも、今日仕事の途中の出来事で、車を走行していた最中に急に雨が降り出した。霜月の雨はとても冷たく、傘でも無いととてもじゃないが風邪をひいてしまいそうだ。そんななか、お婆さんが雨に打たれながらも電動四輪車を運転していた。

私も時間に追われていた為、その場を通り過ごし(雨脚がそれ程強くは無いにしても、通り過ごした事に自責の念を覚えた)てしまったが、あまりに気の毒に思いUターンする事にした。
そして、ちょうど車に積んであった傘を差し上げる事にした。100円ショップで以前買ってあったものだが、お婆さんのほっとした表情と喜んで下さったあの笑顔が今でも目に浮かぶ。

「良い事をする」「人の喜ぶ顔をみる」という事が、恥ずかしい話ではあるがこんなに素晴らしい充実感があった事を久々に味わったような気がする。自己満足かも知れないが、こんなに満足感、充実感を味わったのはなさけ無い話ではあるが久しぶりである。
最近仕事に追われ、生活に追われ、自分や家族の事ばかり気にしていた自分が恥ずかしく感じた。
改めて初心に帰り、一日に一つでも「善」を尽くすように心がけて行かなければならないと自覚させられた一日だった。

「老人に席を譲る」「落ちているゴミを拾う」「困っていたら手を差し伸べる」などなど、ほんの些細なことだが、中途半端に人生を歩んでくると何故か恥ずかしいような気がするものだ。
それは「偽善者だと思われたくない」からではないだろうか。
偽善者とは見返りを求めるものであって、見返りを求めたり利益を求めた打算的善意は本物の「善意」ではない。
「偽善」に他ならない。

決して見返りを求めようなどと考えずに、堂々と胸を張って老人に席を譲り、落ちているゴミを拾い、か弱い人が重い荷物を持とうとしていたら積極的に手伝ってやるよう心がけたいものだ。
お金に余裕があればお金で人を救うことも出来るだろう。しかしながらお金に縁の無い私のような人間であっても、多少なりとも何かの(誰かの)役にはたてると思っている。
因みに、100円ショップに行って100円傘を5本程購入し、車中に積んでおく事にした。
例えたったの100円の代物であっても、誰かの役にたてればそれでいいのである。・・・

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