エッセイコーナー
293.色川武大と阿佐田哲也の世界  2018年3月3日

本日、3月3日(土)より3月25日(日)迄の約3週間、なのはなプラザ(一関市大町4-29)3F展示場を会場に「色川武大と阿佐田哲也の世界」展覧会が開催される。
展示会場には、孝子夫人から一関市に寄贈された色川武大(阿佐田哲也)氏直筆の生原稿や愛用のカメラ、トレードマークのサスペンダーや縦縞のジャケット、生前愛用していたマージャン牌(ぱい)や数多くの執筆作品など、小説家「阿佐田哲也」を象徴する品々が展示されている。

阿佐田哲也(故)と云えば、直ぐ様思い浮かぶのが『麻雀放浪記』の著者として、だが、雀士としても一流の腕前だったようだ。
昭和の麻雀ブームの火付け役として、麻雀を文化の一つとして世に広めた立役者の一人として知られているが、そのような活動から「雀聖」として神格化され、京都の伏見稲荷神社には「阿佐田哲也大神」が祀られているとのことだ。

私の記憶では、深夜番組の11pm(イレブンピーエム)の麻雀コーナーでのイメージが強い。
その影響もあってか、私は高校時代に麻雀を覚え、知人宅に夜な夜な忍び込んでは徹夜麻雀をやったものだ。
役満では索子の九蓮宝燈の実績があるが、それ以後は碌な事がなかったと記憶している。

阿佐田哲也の全盛期は生まれ育った東京を拠点に活躍していたようだが、趣味のジャズを縁に、一関のジャズ喫茶ベーシーとの関わりや、純文学一本に絞る為の環境の刷新、体調の改善を期待して此処岩手県一関市に移り住んだのではないかと云われている。
しかしながら一関に居を移して間もなく、心筋梗塞で倒れ、その10日後に心臓破裂により息を引き取ったとのこと。
一関には僅か10日間の滞在だけとされているが、当時を知る、阿佐田哲也氏とベーシー仲間でもあった私の釣りや山菜・きのこの師匠である吉田さんから、「ひと月以上はいた筈だ」と伺っている。

ペンネームの「阿佐田哲也」は、雀士時代に徹夜続きだったことから、「朝だ(あさだ)、徹夜(てつや)だ」からとったものらしい。
人物像については、村松友視氏の表現を借りると、「眼光炯々というイメージと、何ともいえぬ童のごとき笑顔が、絞り切れぬ印象として残っている」とのことである。
本名は色川武大(いろかわたけひろ)。本名で著す小説のジャンルは主に純文学。
第6回中央公論新人賞を受賞した『黒い布』(1961年)や、泉鏡花賞を受賞した『怪しい来客簿』(1977年)、1978年著の『離婚』は直木賞を受賞している。他にも、色川武大名義で刊行された作品が多数の文学賞を受賞している。

因みに、「色川武大と阿佐田哲也の世界」展覧会の開会式が、本日午前10時から始まった。
主催者の挨拶の後、来賓の祝辞として、勝部修一関市長の挨拶を皮切りに、当時の色川武大氏を知る、作家仲間であり、「いちのせき文学の蔵」会長の及川和男先生の挨拶があり、色川武大氏の一関移住当時のエピソードを詳しく、佐藤晄僖一関商工会議所会頭が述懐された。そして菅原清忠一関観光協会会長の祝辞の後、岩手日日新聞社部長の那須照市氏の閉会の挨拶をもって、開会式を閉じた。

<色川武大と阿佐田哲也の世界>
場  所:岩手県一関市大町4-29 なのはなプラザ3F 展示スペース
開催期間:3月3日(土)から3月25日(日)まで
入 場 料 :無料
開館時間:9時から22時まで


フォト短歌「麻雀」  

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