エッセイコーナー
123.核のゴミの行方  2015年3月12日

東日本大震災よりちょうど4年目を迎えた昨日の夕方、一関市役所前の噴水公園広場にて4度目となる追悼・夢あかりが開催され、拙生も3回目の参加となった。年々参加者が増えているのは好ましいことだ。是非また来年も参加したい。

事務所に戻り、あーでもないこーでもないとパソコンに向かっていると、小腹が減ったので買い置きのインスタント焼きそばを調理しながらテレビのスイッチを入れてみた。
すると古舘さんの報道ステーションが、「核のゴミ」について特集を組んでいた。最終処分場として、世界で一番進んでいると云われるオンカロ(フィンランド)だが、そこでの地下水の問題や、ドイツの中間貯蔵施設アッセでの岩塩層の問題など、処分場の建設にあたり問題が次から次と湧き出てくるというのが、実態のようだ。

いずれにしても、最終処分場は地盤が強固で、地殻変動などに対する安全性を考慮した安定地盤、地形であったとしても、何がしかの問題が次から次と、芋づる式に出てくるのが現実のようだ。
日本はというと、地球上の誰もが認めれる超地震大国であり、火山国である。
果たして日本国内で最終処分場が見つかるや否や。

フィンランドの電力会社や政府は、「廃棄物の処分先が決まらないまま原発の建設はありえない」と、最終処分まで責任をもってやるのが基本スタンスだと云っているが、果たして日本はどうなのだろうか。

先ごろ、宮沢経産大臣が、「最終処分と再稼働はリンクしない」と話していたそうだが、あまりにも無責任極まりない発言だ。
再稼働を承認し、核のゴミを増やすだけ増やして、「後の世代がなんとかするだろう」「あとはしったこっちゃねぇ!」とプイっとほうり投げられては、孫子の代になって悲惨な事態になりかねない。そんなことで本当に良いのだろうか。
是が非でも原発が必要だというのであれば、まず先に最終処分の方法を決めてからやるのが、筋というものだろう。
リンクしないどころか、セット、いや一体でなければいけない。

是が非でも原発を勧めたいとする理由は、果たしてなんなのだろう。
嘗て、自民党議員として原発推進を図ってきたご先祖を慮ってのことか、それとも経済活動を優先する為か、はたまた「いつでも核兵器を作れるんだ」ということを世界にアピールする為なのか、或いは、安定供給や電気代が安上がりだからか、いやしかしそれはあるまい。
福島原発の事故に対する賠償や、廃炉処理の費用は莫大な額に上る筈だ。
結果的にみて、遥かに高リスクだというのは誰が観ても明らかだろう。

いずれにしても、「トイレの無いマンションを作ってどうする」とよく云われるが、トイレが無いぐらいなら、まだ、恥を晒せば辛うじて住めるかもしれない。しかしながら、肥溜めの中で生きろと云われても、いつ溺れて窒息(匂いだけでも)死するか見当もつかない。

「政治が原発ゼロに舵を切れば、必ず自然エネルギーで経済成長できる国になる」と、小泉元首相が福島県喜多方市での講演で述べたそうだが、日本の技術や頭脳を持ってすれば、間違いなく世界でナンバーワンのクリーン先進国に生まれ変われる筈だ。
被爆と被爆の苦い辛い体験を活かして、是非とも世界のお手本になってもらいたい。


ここ最近寒気が戻った所為で、朝晩はかなり冷え込む日が続いている。
そんなが戻った日にはやはりがいい。
そんなことで、先日友人が土産にと持参した新潟の地酒を、カニ味噌を肴にグイっといきたい。


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