エッセイコーナー
364.感謝  2019年3月13日

平成31年3月10日零時5分、元・一関市立図書館名誉館長であり一関・文学の蔵会長の及川和男(作家)先生が、85年の歳月に幕を引き、泉下の人となった。

及川先生は『村長ありき 沢内村深沢晟雄の生涯』『深き流れとなりて』『森は呼んでいる』など多くの小説や児童文学を世に出している。
ちょうど8年前の東日本大震災の折、宮古市重茂半島のある森に、齢(よわい)300年を越えるケヤキの老木と、津波で両親を失い、震災孤児となった洋人との心の会話をとおして、人間と自然との関わりを表現した児童文学作品『浜人(はんもうど)の森2011』を出版している。
その印税全てを、震災遺児・孤児を支援するいわての学び希望基金に寄付されている。

「棺を蓋いて事定まる」 郷土の文化振興への尽力など、及川先生の生前の功績は知るところだが、泉下の人となった今後、更にその偉業が遍満するのではないだろうか。
特に、今から30年前、三好京三(故人)らと共に一関・文学の蔵を組織化し、一関にゆかりのある文学者を顕彰するなどの日本一小さな文学館「いちのせき文学の蔵」の創設に努めた。
晩年には地元の文化興隆に寄与すべく、自身が会長を務める一関・文学の蔵発刊の『ふみくら創刊号』『ふみくら2号』の出版に携わった。
年刊誌『ふみくら』は地元一関ゆかりの執筆者の寄稿により、成り立っているが、その原稿依頼の殆どは及川先生の呼びかけによるもの。また、寄せられた原稿の文字起こしも殆どが及川先生の手によるものだ。

『ふみくら』完成後、関係者へ発送する為の宛名書きから礼状の作成など、殆どが先生の作業によるものだった。
あまりにも大きな大黒柱を失った一関・文学の蔵の今後は、果たしてどうなるのだろうか……。
及川先生の直接の死因は多臓器不全とのことだが、今から20日ほど前の2月18日、予てより心配していた大動脈瘤が破裂。そのことが原因だったと思われる。

以前、一関市立図書館が磐井川沿いの田村町にあった当時、及川先生は名誉館長の任に就いておられた。
一関は文芸に精通する人たちが多い。そんなことから私は、一関市立図書館の職員に、市民講座としてエッセイ講座などを企画して欲しいと懇願した。
それから数ヶ月後に、有り難くも、「文章上達講座」が開講されることになった。
その講師として、当時名誉館長であった及川先生が講師を引き受けて下さることになったのである。
初回は磐井川沿いの元図書館で3回に分けて講義が始まった。
前もって8百字程度の随筆やエッセイを、各自提出しておいた原稿用紙に、先生愛用の万年筆による、味のある書体の赤文字で添削され、講義でその内容に触れながら丁寧に講義を進めていただいた。非常に嬉しく思ったものだ。
今でも先生直筆の原稿用紙を大切に保管している。

後で知ったのだが、講座を開講されて間も無く、先生の体調に異変をきたし、大動脈瘤との診断を受けたとのこと。
本来ならばその様な状態で、とても講義などできよう筈もないが、先生はそのことを微塵も私たちに感じさせることなく、丁寧に講義を進めて下さった。本当に有り難かった。
心より感謝すると同時に、実は私、講義を依頼したことを、大変心苦しく、自責の念と悔恨の思いをずっと引きずっていた。それから暫くして、突然先生から連絡があった。
その内容は「一関・文学の蔵を手伝ってくれないか」とのことだった。

勿論、光栄なことではあるが、それよりもなによりも、先生のお役にたてることなら、喜んでお引き受けしようと、私は心に誓っていた。
天に召された今、勿論これからも、私はそのことを肝に銘じ、結草の意をもって、先生の依頼については何よりも優先するつもりでいる。どうか、天上界から、何なりと申し付けていただきたい。

一首献詠

京三さん ひさしさんらと 呑み明かし 文学談義に 花を咲かさむ
                 文学話しに 花咲かさむことを

及川先生 本当に今まで有難うございました。
心より感謝申し上げます。安らかにお眠りください。


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