エッセイコーナー
1.憲法9条改正に付いて  2007年8月17日

終戦の日を迎え、憲法(特に9条)論議に侃侃諤諤している中、私も真剣に考えてみる事にした。テロ対策特別措置法の延長の期限が11月1日に切れる事もあり憲法9条の据え置きか改正かによって、今後の日本の立場が大きく変わってくる事になる。

“憲法9条”
1項  日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力    の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2項  前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

憲法改正の是非を問う場合、「戦争」の是非を最初に問わねばなるまい。二度と戦争を起こさない為に「何をすべきか」であり、特措法の問題にしろ、日米安全保障条約の問題にしろ、二度と戦争を起こさない為に「何をすべきか」が明確でないと、議論が前に進まない様に思う。
そういう肝心要の問題をなおざりにして、自衛権(個別的・集団的)の問題やら、特措法の問題やら、国際貢献の問題を集中的に議論しても正しく・明るい日本の未来を築く事はままならないと思うのだが。

集団的自衛権に付いてだが、「同盟国に対して支援する」と言う事であるが、要するに日米安全保障条約を締結しているアメリカに対しての集団的自衛権であろうから、例えばアメリカが戦争を始めたとする(侵略・防衛戦争の如何にかかわらず)と、日本は集団的自衛権を行使して軍事的支援(支援は軍備だけでは無い、経済的支援でも良いはず)を送ろうとするだろう。勿論、こんな事をすればテロの標的にもなるだろうし、そこから、報復の連鎖が生じるのは目に見えている。一見、 友達が苛められている時に「なんだこの野郎」と助けてやるのが正義である。とも思われるが、ただ、喧嘩っ早い友達が、ちょっと「眼つけ」されたから「なんだこの野郎」と喧嘩しているのに集団的自衛権を行使するのはどう考えても間違えである。個人の喧嘩ならまだしも、国と国との喧嘩となれば、戦争となり大変な事態で>ある。

※日米安全保障条約はこの集団的自衛権を認めた上での締結である為、これが「足かせ」になっているのであれば、条約の内容に各国の憲法を優先する旨(第8条) の条項がある。
11月1日特措法改正に向けて現政権下で色々審議しているようだが、審議委員会の大半がこの集団的自衛権の容認派らしい。これも大問題である。 それと、個別的自衛権の問題だが、自国を自力で守れないのも問題である。
今や、日本の軍事力も世界第5位との事、流石に「核」は保有していないものの、相当な軍事力である。対核保有の隣国の脅威を考えるならば、「いたしかたない」のかも知れない。しかしながら、世界第5位の軍事力を持ってしても同盟国であるアメリカの軍事力に頼っているのが現状である。

さて、それではどうしたら良いのか、借金だらけの国家予算を削って、軍事力を増強させた場合、今度は「ネオコンの論
理」も見え隠れしている。二律背反である。以上の事からも、9条問題を考えると本当に複雑である。
そう簡単には結論は出せないというのが本当のところだが、心情的に考えると「やっぱり戦争は絶対やってはいけない」と言う観点から、「9条の改正はやはりやるべきでない」と言いたい。世界に誇れる平和主義の現憲法を、自信を持って世界に提唱し発信してもらいたいものである。

≪return
 スポンサード リンク (Sponsored Link)