エッセイコーナー
46.幸福の定義  2012年9月2日

幸せとは、「(願いがかなったりして)満足だと感じられるようす」と辞書には載っている。語源を辿れば「めぐり合わせ」の意味を持ち、機会、天運、なりゆき、始末などの意味を持つ。
幸福論も様々あり、福田恆存翁は、「不公正な世の現実を見据え、弱点を弱点と認識した上でとらわれなく生きること。
望むものを手に入れるために戦い、敗北しても悔いないこと」だと説き、古代ギリシア、ストア派の哲学者のエピクテトスは、己の力の及ぶものと及ばないものを識別し、自己抑制をもって生きることを説いている。

即ち、その人それぞれの価値観によって受け取り方も様々だが、昨日、民話の郷として知られる岩手県遠野市に於いて、ドリームプラン・プレゼンテーション(以後ドリプラと記す)という起業家を志す人達による夢のプレゼンがあり、その主催者である福島正伸氏の講演を聞き、真剣に考えさせられた。
私は今迄、幸せになるための過程として、自己や身内をその定義の基準(根幹)に置いていた。
その所為か、「幸福感」という感覚がいまいち実感できないでいた。「心から納得出来る」といった境地にまで達しないのである。

福島氏の講演の中に、「幸せになれる人とは、他人を幸せに出来る人だ」との一説があった。
単純であり単細胞な私は、その一言に、溢れんばかりの感情がこみ上げてきたのは言うまでもない。
勿論、理屈では分かっていたつもりだったが、これ程までの感動を、今迄幾度覚えてきただろうか。
福島氏の、真剣に取り組んできた姿勢や実績により、痛烈にその言葉の重みとなって伝わってきたのだろう。「目から鱗が落ちた」とはこの事を言うのではないだろうか。

福島氏の一言により、「幸福感」という掴みどころのない、モヤモヤとしてフワフワと脳裏に浮かぶ矛盾するものが、納得のいく答えとして明確に示されたように思う。
後はそれを実際に行動に移せるか否かが問題だが、それを実践へと導いているのが、前出の「ドリプラ」である。
ドリプラは、「自立・創造」「相互支援」「感動・共感」の3つのテーマを持ち、2つ目の相互支援が、前述の幸福論の答えであり、深く係わってくるものである。それぞれの夢を語り合い、その夢の実現に向けて皆が応援、協力する事により、お互いの夢が実現できる。
これは理想や空想などの単なる願望論云々ではなく、極めて現実的な話である。

また、皆の応援(応援の形は色々)を得るためには、3つ目の「感動と共感」が重要であり、その夢やプラン自体に応援されるものではなく、「その夢を描き、真剣に取り組もうとする人に対して応援されるものだ」とも話されていた。
愚痴や不平不満を述べる人に、応援しようとは誰も思わないだろう。人は皆、真剣に、一生懸命に取り組む姿や気概に対し、共感し、感動を覚え、心動かされるのである。
今回の遠野市会場でのプレゼンターは6名。10分の持ち時間でそれぞれの夢を理路整然と真剣に述べていた。
その先陣を切ったのがいーわブログの福地至編集長であり、岩手の復興を祈願し、「輪・和」を広げていきたいと抱負を述べていた。

また、最後のプレゼンターは、東日本大震災の津波被害に遭い、営んでいた料理店、最愛の奥さんを亡くされた方で、生前奥さんと二人、料理人としての専門性を活かし、食育などを通して社会に貢献することを思い描いていたとのことだった。
その夢の実現に向け、彼らの真剣な姿勢や思いのこもったプレゼンは、当然の如く、会場に詰めかけていた多くの人達の心を掴んだのは言うまでもない。
真の幸せとは、「社会や周りにいる人達が幸せだ」と感じたその瞬間に、自分も「幸せだ」と共感できる事が本当の意味での幸せであり、冒頭で触れた「幸せ」の語源である「めぐり合わせ」の必然性や必要性を、昨日の講演やプレゼンをとおして、改めて思い知らされ、学ばせていただいた事に、心より感謝したい。

≪return
ブックオフオンライン