エッセイコーナー
29.社会貢献への想い  2010年12月27日

最近よく耳にする言葉に、「ソーシャルビジネスとかソーシャルイノベーション」という言葉がある。
ひとことで言うと、「社会貢献を目指しながらもビジネスとして確立した事業形態」という意味だが、社会貢献といえば、先ず真っ先に「自己犠牲」という観念が思い浮かぶ。
現実的に、「社会貢献で生活していけはしない」というのが定説としてあり、或いは固定観念として根強く残っている。
そうなると、社会貢献というものは自分の生活や時間を犠牲にしてまで社会に尽くすといった、そんな犠牲的精神の上で成り立つものなのか、或いはカーネギーのように巨万の富を得た後に、私財を擲って社会に貢献するといった、大まかに分けてその二つのイメージが浮かんでくる。

しかしながら産業構造や価値観の変転により、事業形態も様変わりしつつあるのが現状のようだ。
近年、アメリカの学生達が就職先に望む「もの」や、就職先自体が社会的貢献度の高い企業や、NPO、NGOといったボランティアの意味合いの濃い法人への就職希望者が多くなっているというのである。
その傾向は日本にも及びつつあるようだ。

その背景には、行き過ぎた市場原理主義によって格差が広がり、多くの痛みを抱え閉塞感に包まれた現状を見、しかも感じていた事や、敗戦後アメリカを手本に、物質的、金銭的な豊かさを追い求めた結果、自然に対する畏敬の念が薄れ、身勝手な行動や言動が横行してくるといった現象や、自己責任の理念を尊重し過ぎた弊害からか、核家族化が進み、
助け合いの精神を尊重する共同体、所謂家族の絆や近所付き合いがなおざりになり、或いは人と係わり合う事が希薄になり、人と人との触れ合いについて温かみ が無くなってきたという事が、それらの大きな要因として考えられるのではないだろうか。

その病んだ社会を変えようとする事は、もはや夢想家のスローガンではない。
その傾向が、単なる一般的なブームではない一種の「社会的うねり」が起こっている、と感じているのは私だけではないだろう。
それらの事を踏まえ、内閣府は今年(2010年)3月、70億円の予算を確保し、「地域社会雇用創造事業」社会的企業支援基金として、NPOなど社会的起業としてのスタートUP等に、予算を投下する事が確定され既に実施されている。
これを機に、国や地方自治体としてのポジティブな役割として、益々社会に貢献する企業や法人、或いは個人への援助や支援を見直してもらいたいと願っている。
私自身も、このソーシャルビジネスを念頭に置きながら模索しているところだが、新年を迎え、「初夢にでも」その構想が浮かんでくる事を祈っている。

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