エッセイコーナー
154.岩手県南紅葉真っ盛り  2015年10月31日

10月も終わりを迎え、明日で霜月となる。その1ヶ月後は師匠の僧侶(因みに私は僧侶ではない)がお経をあげる為、あちらこちらに走り回る程多忙な月だとされる師走へと突入する。
烏兎怱怱、光陰矢のごとし、一年はあっという間である。365日、時間にすると8760時間、分に直せば52万5千600分、秒では3千百53万6千秒ということで長そうにも思えるが、真実は心の中にあって、白い缶の中にある……。

ともあれ、此処岩手県南の紅葉前線は山の中腹部が今最盛期を迎えており、平野部の最盛期はあと4・5日といったところだろうか。
死を迎えようとしている病人も、死ぬ間際には一旦回復したかのように元気になると云うが、1年の終わり、年の瀬を迎える直前にも、自然の持つ究極の美を存分にたたえ披露してくれる。
「終末の美」とはよく云ったものだが、散り際の美しさは、違った意味での究極の美の表現だと私は思っている。
その美しさ、そして一抹の寂しさを含んだ紅葉を題材とする短歌や俳句も多い。

短歌では(明治以前に詠まれたものなので正式には和歌)
山川に風のかけたるしがらみは流れもあへぬもみぢなりけり(春道列樹)
奥山に紅葉ふみわけなく鹿の声なき時ぞ秋はかなしき(猿丸大夫)

俳句では
うらを見せおもてを見せて散るもみぢ(良寛)
日の暮の背中淋しき紅葉哉(小林一茶)
などが代表的な短歌や俳句として挙げられようか。

やはり秋、紅葉は、美しさと同時に、ひととせの終わりを迎える季節として、どことなく物悲しさ、寂寥感が伝わってくる。先日、北上市の日本現代詩歌文学館に、篠弘館長による今年2回目となる短歌実作講座に出席してきたが、敷地内に拡がる詩歌の森公園の木樹もだいぶ色づき始めた。これからが秋本番を迎えようとしているが、色鮮やかなもみじの裏面やその美さの内面にある、終末の美としての寂寥感、寂寞感を見逃してはなるまい。



その他の紅葉写真(祭畤~胆沢ダムルートの紅葉風景)>>


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