エッセイコーナー
3.ミシュランガイドの是非  2007年11月22日

最近、巷ではミシュランガイドの話でもちきりだ。
レストランやお寿司屋さん、割烹料亭や普通の食堂まで神経をピリピリさせている様だが、果たしてそんなに必要なものなんだろうか。
旅行者や自称「食通」と言われている人達には一応参考になる資料として必要なのかもしれないし、それなりの価値はあるのだろう。又、2つ星や3つ星に選ばれたお店サイドも確かに「名誉」なことであり、それによって売上も大きく左右されるだろう。

しかしながら、その評価から洩れたお店はどうなんだろうか、「美味しくない」「食べる価値もない店」と言うマイナスのレッテルを貼られた様なものである。
以前、フランスかどこかの国で、星の評価が下がり、自殺したオーナーシェフも居たらしい。
評価の星の数を増やす為に、努力する事は決して悪いことではない。ただ、ミシュランの星の数を増やす為、云々と言うより、お客さんに美味しい料理を提供して、喜んでもらいたい。と言うのが料理人の本分で、どの料理人も皆そう思って努力している筈である。その結果お客さんの数も増え、売上も上がるのである。

「あの店はちょっと店の雰囲気が暗いので星は無しだ」とか「この店は雰囲気も良く料理も旨いから星3つだ」などと当然のように評価を下すのは、身内の間だけだったらまだしも、公然と評価する権利はどこにあるのだろうか。
そんな「星ふたっつ、星みっつです」なんてやっているガイド本よりも、「あの店はとっても親切で美味しい店ですよ」とか「この店の角煮は柔らかくて美味しいよ」といった情報誌やガイドブックとして出版している本の方が、私からみて「星3つ」である。

少なくとも「義理や人情」、禅宗の影響などもあって、積極的に評価され美意識の中にとりこまれた「侘・寂」を重んじる日本人にとって、「非」なるものではないだろうか。まったく「大きなお世話」であると言いたい。
だいたい味の好みも人それぞれだろうし、私なんかは、新しくて華やかな店よりも、少々古くても小奇麗で温かい感じのする店、入店した時「ほっとする」ような店の方が好きだし、ラーメンライスに納豆を付けて食べる庶民的なお店で食べた方がよっぽど満足感が味わえる。
もっとも、ミシュランガイドは庶民の為のものでは無いんだよ、と言われれば一言も返せないが、少なくとも我々一般の庶民にとっては「無用の長物である」と言えるのではないだろうか。
今迄、ミシュランのスタットレスタイヤを好んで履いていたが、やっぱり日本製が一番の様だ。

「好店三年客を変えず、好客三年店を変えず」この精神を忘れてはなるまい。・・・

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