エッセイコーナー
215.見過ごされた『いじめ』  2016年11月21日

「ばいしょうきんあるんだろう・・・」
「いつもけられたり、なぐられたりランドセルふりまわされる・・・」
「ばいきんあつかいされた・・・」
「なんかいもせんせいに言(お)うとするとむしされた・・・」
「いままでなんかいも死のうとおもった。でもしんさいでいっぱい死んだから、つらいけどぼくはいきるときめた」
福島第一原発の事故で、福島から横浜市に自主避難した当時小学6年だった昨年の7月、彼が書いた手記の抜粋である。

胸が張り裂けそうになる。

文科省の集計では、昨年度「いじめ」として認知された数は全国(小・中学校、高校、特別支援学校)で2万4540件。
過去最高だったとのことだ。勿論これはあくまで表に出た数であって、表にでてこない陰湿ないじめが未だまだあるのではないだろうか。特に、当時から原発事故で否応なく被災した福島出身の子供らへの「いじめ」が懸念されていた。

子供たちが集団でいじめに走ったその要因には、「放射能がうつるから」「自主避難者には多額の賠償金をもらっているから」などと、大人たちの節操のない軽はずみな言動に影響されたと指摘する評論家もいる。

なにしろ当時、原発の被災地を視察に行ったなんとか元経産大臣が、記者団と懇談中に、ある記者に防災服の袖をすりつけるしぐさをしながら、「放射能をうつしてやる・・・」などと口走った問題発言もあった程だ。
そんな愚挙、愚行な大人たちの行動を見て育つのだから止む終えない部分もあるのかもしれない。
しかしながらかといって、やって良いこと、云って良いことでは絶対にない筈だ。避難者は皆被害者なのだ。好き好んで被害者になった訳でも、来たくて横浜に避難した訳でもない筈だ。「止む無く」「致し方なく」なのだ。

「なんかいもせんせいに言おうとするとむしされた・・・」

いじめた加害児童らと遊園地やゲームセンターなどに行き、その遊興費や食事代、交通費まで含めて1回5万~10万円の費用を10回近くも負担させられたそうだ。
総額150万円に上るとのことだが、「これは変だ」と被害者の父兄が学校や教育委員会に相談を持ちかけたそうだが、ろくな対応もなく、埒が明かなかったとのことだった。
なんともお粗末で、無責任極まりない学校側や教育委員会の態度にはただただ呆れ果るばかりだ。

理性を失った一人の先導者の言動に端を発し、同調的圧力の下、付和雷同する意志を持たない不甲斐ない大人たちの様子を、子供たちはしっかりと観ているのである。
因果の法則によって、無節操で無分別ないじめをした者たちにはいずれ何らかの災いやしっぺ返しがあるのだろうが、その要因を作ったのは周囲の大人たちだ。

二度とこのような過ちを繰り返さない為にも、真相を徹底的に究明し、排外的で差別的な間違った対応を一掃し、正しい道徳教育を励行してもらいたいものだ。
その為にも、大人として良き手本となるよう、身を正して生きなければと改めて考えさせられた。
手記の続き「・・・つらいけどぼくはいきるときめた」
実に重く、深く、そして切ない言葉である。
この言葉に、生きることの厳しさと、命の尊さを改めて考えさせられたような気がする。


フォト短歌「今東光」  

横浜出身の大僧正(今東光)もあの世でかなり怒っているぞ!!


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