エッセイコーナー
175.高齢化社会の憂事  2016年3月4日

2007年(平成19年)12月7日、東海道本線共和駅(愛知県)のホームで、当時91才、重度の認知症を患う男性が線路側との遮断の為のフェンスを通り抜け、電車に跳ねられて死亡すると云った痛ましい事故があった。
事故に伴い発生した損害について、JR東海は損害賠償請求の民事訴訟を起こした。
勿論当事者は重度の認知症の為、判断能力は無いに等しい。そのことから民法713条の「精神上の障害により自己の行為の責任を弁識する能力を欠く状態にあ る間に他人に損害を加えた者は、その賠償の責任を負わない」との条文により、本人の賠償責任は問われることはない。

しかしながら次項の第714条の「責任無能力者の監督義務者等の責任」により、JR東海側は賠償責任を家族に求めた。
それを受けて一審の名古屋地裁は妻と長男に対し、請求全額(約720万円)の賠償を命じた。これに対して、二審の名古屋高裁は妻のみに対して約360万円の減額請求を言い渡した。ところが、当時介護、監督にあたっていた妻も85歳の後期高齢者。しかも要介護1の身障者だった。ましてや事故現場となった線路とホームを挟むフェンスの戸が施錠されていなかった。そのJR東海側の管理の甘さも後押しして、不服申立てを行ない、結論は最高裁に係属された。
その最高裁の判決が先日(2016年3月1日)結審を迎え、一審・二審判決の賠償命令を退け、家族側の賠償責任が免れる判決がくだされた。

この判決は人道的見地からみても妥当であり、優勝劣敗をよしとする非人道主義的立場を排斥した格好となった。
弱者の保護、擁護、救済と云ったヒューマニズムを想起させる賢明で的確な判断であったと私は思う。
日本は法治国家として、法律の遵守、厳守を基本とする清廉で潔癖な国家だが、本来の法は、弱者を助け、擁護することに重きを置くべきであるにも係わらず、 現行の法制度の中には矛盾があり、弱者救済の認識が軽んじられる法律も少なからずあるように思えてならない。
「保身」と云う意味に於いて、最後の砦、或いは拠り所として裁判所があり裁判があると思うのだが、一審や二審での判決は法の遵守に重きを置き過ぎてか、人道的な配慮が欠けているように思えてならない。
もっとも、その為にも上訴審があるのだろうが。

監督責任を問われた家族は、認知症患者の看病だけでも既に限界にあった筈。監督責任云々を問われても、四六時中完璧に監視することなどまず不可能に近い。
そんな状態の家族に、賠償による更なる負担を課すのはあまりに酷いと云わざるを得ない。
たまたま今回の家族は財力があるとのことだが、それでも個人としての立場を鑑みると、賠償命令は酷だと云わざるを得ない。もっとも財力の有無に係わらず、公平な判断が望まれることは云うまでもない。

厚生労働省は、2025年には認知症の高齢者が700万人と、今より1.5倍に増えると試算している。
明日は我が身、誰とても起こりうる可能性が絶対にあると云うのが紛れもない事実である。
そんな意味でも、今回の最高裁での判決は、今後ますます進むであろう高齢化社会の憂事に対するアンチテーゼとして、方途をしっかりと示してくれたと云えるのではないだろうか。



5年前の2011年2月下旬に撮影  雁の大群>>
 



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