エッセイコーナー
141.お盆やすみ  2015年8月17日

お盆が終わると一気に賑わいだ環境が一変する所為か、或いは涼しさが増す為か、淡い寂寥とでも謂おうか一抹の不安とともに寂しさがスーッと過るのである。  
8月15日の飲み会(二次会は先輩が営むゆあーずにて)には、いつものメンバー以外に30数年ぶりに逢う高校時代の同期生数名が加わり、特に女性の参加は会に華を添えた。かなり盛り上がった実に楽しい飲み会であった。
年月を経て、円熟期を迎えた女性陣は、弾けるような魅力をたたえる若さとは違い、人生の酸いも甘いも知ってか、知的で、落ち着きと上品さを兼ね備えた魅力が満ち溢れていた。
今まで歩んできた歳月よりも、残る歳月は間違いなく短い。ならばまた宴会の席を同じくするなど、昔の思い出話に花を咲かせ、「賑やか」なひと時を堪能したいものだ。

「賑やか」と云えば、子供らの歓喜する様ほど、形容として相応しいものはないのではないだろうか。
私が住む、限界集落に近い民区の盆踊り大会が、例年どおり8月14日に行われた。かれこれ30年以上も続いている。
十年程前より、子供らを喜ばせようとお盆行事の一つにそうめん流しが加わった。
我が家の竹藪から太めの唐竹を切り出し、半分に割り、節をサンダーなどで丁寧に取り除いて滑らかに仕上げる。毎年の事なので手慣れたものだ。
それを集会所の台所の窓越しから、傾斜をつけて水道水と一緒にそうめんやミニトマトなどを流す。
子供らが取り損ねた下流部に溜まったそうめんや千切りのキュウリ、ミニトマト、今年はそれらに加え燻製のうずらの卵(美味しかった)や、流し終えた水をタライやバケツで捨てるといった処理が必要になるが、その係のお父さん方もなかなか大変なのだ。しかしながら子供らの笑顔や、歓ぶ声を聞きたいが為に、せっせせっせと側溝までピストン輸送し、頑張っているのである。

今年もわいわいガヤガヤと子供らの歓ぶ声が木霊し、四方八方に、「賑やか」に響き渡っていた。
因みに、そうめん流しが終わった頃から天気が愚図つき始め、雨になった。結局は10数年ぶりに集会所の中で盆踊りをやる羽目になったのだが、我々若い衆(?)は、800本もの焼き鳥を炭火で焼く為、最後の最後迄、強まる雨音を耳にしながら急遽張ったテントの下で、煙に燻され、身体中(特に髪の毛)にタレの匂いを染み込ませ、汗だくになりながらも左手に団扇を持ち、必至になって竹串を回し続けたのだった。
その光景を観れば、未だ未だ限界集落にあらずと、胸を張って云いたいところなのだが……。

                  
                                      2013年の盆踊り大会の様子>>


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