エッセイコーナー
557.一枚のお気に入り写真  2021年1月3日

一枚のお気に入りの写真がある。
「ある」と云っても、私が撮った写真でもなければ、手元に実物やネガがある訳ではない。
後藤新平記念館2階にある一枚の写真(盛岡市の山形正五郎氏寄贈)である。
1925年3月30日、朝鮮の京城駅で撮られた写真だ。

写真の左側には葉巻を咥えた後藤新平、右側には当時朝鮮総督だった斎藤實のツーショット写真である。
ボーイスカウト日本連盟初代総長であった後藤が、朝鮮京城少年団(ボーイスカウト)の検閲に出かけた折、斎藤が京城駅で出迎えた時の様子だが、何とも微笑ましい写真である。
と云うのも、この2人は幼馴染であり、後藤が一級先輩だ。そのことが写真の様子を見れば窺い知ることができるのではないだろうか。

「後藤先輩、よくぞ朝鮮までこられましたね」との斎藤の歓迎の言葉に対し、葉巻を咥えながら胸を張って「よお斎藤、元気でやっているか、朝鮮はどうだ」とでも云わんばかりの表情である。体育会系及び応援団系の私にとっては、何ともたまらない一コマである。

2人の生家は目と鼻の先にある。岩手県水沢市(現在の奥州市水沢)吉小路の一角で2人は幼少期を過ごした。共に学業優秀であり、早世した山崎為徳らと「水沢の三秀才」と謳われていた。
狭い小路の一角から、ご周知のように日本の歴史に大きく関わる2人が輩出されたのである。

後藤新平は台湾や満州の近代化に貢献し、東京都知事や内務大臣として今ある東京の礎を築いたことは周知の事実であろう。
その根幹には、「国家は一人の為の国家ではなく、政府は一人の為の政府ではない」との根本観念を明確にし、「責任を国家に負うものは必ずや無私の心で奉仕すべし」と云った利他的、愛他的精神に満ちた人物である。

また、一方の斎藤實は、ご周知のとおり第30代内閣総理大臣であり、2・26事件の凶弾に倒れた人物である。岩手県出身者の歴代総理5名のうち、平民宰相として知られる原敬第19代内閣総理大臣に次ぐ2番目の総理となった人物である。

斎藤は後藤同様、犠牲的精神や利他主義を重んずる人物であり、それまでの武力統治を脱却し、文治統治をはかるべく、1932年、当時75歳の高齢にも係わらず、周りからの強い懇願により、老骨に鞭打ちながら総理の任を承諾したと云われている。
しかしながら事半ばにして、武力による強硬路線をよしとする皇道派のクーデターにより、79年の命を閉じた。

もし当時、二・二六事件に巻き込まれず、政治の中枢に在ったならば、民間人含め310万人もの尊い命を失った第二次世界大戦は起こらなかったかもしれない。
もしこのお二方が、新型コロナの災禍に喘ぐ今日に生きていたならば、果たして・・・。

後藤新平待望論   2020年12月7日
斎藤實記念館にて  2014年7月27日


フォト短歌「竹馬の友  


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