エッセイコーナー
479.歴史の小道  2020年4月24日

北上川水系の一級河川である磐井川は、霊峰栗駒山(須川岳)山麓の湧水を集め、南東方向に約30㎞、下流域には一関市街地が広がっている。そこから約6㎞程下ると一級水系北上川と合流する。
磐井川は1947年のカスリーン台風や翌年のアイオン台風では堤防決壊により多くの犠牲者を出したことで知られる。
その磐井川は一関市街地の中心部を東西に分断するかのように流れている。

当河川の東側に沿って南北に走る一本の道路がある。地元では「歴史の小道」として親しまれている。
一ノ関駅から西に600メートル程進むと、背景に栗駒山を配し、上ノ橋が見えてくる。その手前の信号を右折、北を目指して100メートル程進むと、右手に日本基督教団一関教会の古い建造物が見えてくる。国の有形文化財に登録されており、正面右側の尖塔が特徴的だ。
そこから北に50メートル、旧沼田家の武家屋敷が見えてくる。こじんまりとした茅屋に見えるが、江戸時代の後期、一関藩の家老職を勤めた沼田家の旧宅である。
前述したカスリーン台風やアイオン台風でも、倒壊の憂き目に遭うことはなかったとのこと。
旧沼田家を後に、北に向かって約200メートル程進むと、左手に、如何にも造り酒屋風の建造物が見えてくる。
世嬉の一酒造である。

敷地内には国の登録有形財産に指定された旧仕込蔵・酒母室や旧原料米置場・精米所など、古色蒼然とした趣のある伝統的建造物が存在感を誇っている。
なかでも、南側入り口から西の方向に目をやると、造り酒屋の象徴とも云える大きな仕込み桶が目の前に存在感を示している。その直ぐ奥に酒の民族文化博物館が確認できる。
酒の民族文化博物館は、東北一の大きさを誇る土蔵(元仕込み蔵)を改築。1600点以上の道具や酒の神・松尾大明神を祀っている杜氏部屋や、米造りに関する資料などが展示され、酒の醸造工程が紹介されている。

また、世嬉の一酒造は江戸時代から続く由緒ある蔵元で、島崎藤村や幸田露伴、北村透谷や内村鑑三らとの関わりもあり、戦後間もなく、当時中学生だった井上ひさし(作家)一家が当蔵の一角で暮らしていたなど、名だたる文人たちとの交流の深い名門の造り酒屋である。
酒の民族文化博物館に入って直ぐ左に、10坪程のギャラリーがある。日本一小さな文学館として知られる「いちのせき文学の蔵」である。
島崎藤村や井上ひさし、色川武大(阿佐田哲也)や三好京三、及川和男を初め、一関市ゆかりの作家や俳人12名の書籍や資料が展示されている。
そのギャラリー「いちのせき文学の蔵」を運営するのが、公設民営の「一関・文学の蔵」である。
私も世話人会のひとりとして、年間誌『ふみくら』の作成に編集委員として携わっており、今年の6月には、『ふみくら4号』の発刊を予定している。発売(660円消費税込み)はこれまで同様、地元の書店等での店頭販売を予定している。

今号の執筆者の中には、日本あじさい協会より日本一として認定されたみちのくあじさい園の園主、伊藤達朗(私ども伊藤家の総本家)氏の執筆も含まれ、今日に至る迄の経緯や苦労話などが綴られている。
因みに、私は今回「心の旋律」と題して、宮沢賢治文学の礎とも云える賢治の短歌について触れてみた。

尚、只今、新型コロナ問題で、いちのせき文学の蔵は閉館しており、5月7日以降の開館を予定しているとのこと。
全国への緊急事態宣言により、不要不急の外出を控えざるを得ない状況。致し方なし。
再開の暁には是非とも、文芸ポトス「いちのせき文学の蔵」に訪れ、「言葉の力を信ずる」文学者たちの営為を通して、言葉を鍛え、磨き、生きることの大切な意味合いを探っていただきたい。

世嬉の一酒造では、国際大会での受賞を初め、各界から高評価を得ている日本酒やクラフトビール、甘酒などを生産している。店頭での販売はもとより、ネットでの注文が好評のようだ。
因みに私は、アルコール類は付き合いで飲む程度なので、飲む点滴と云われ、米麹100%の「こうじあまざけ」を購入している。冷で飲むもよし、温めて飲むもよし、新型コロナなんぞに負けない栄養素を吸収し、免疫力を高めている。


フォト短歌「桶」  

いちのせき文学の蔵の写真>>
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