エッセイコーナー
226.愛犬ロッキーとの思い出  2017年1月29日

我が家の愛犬の名前はロッキー。それも2代目である。先代のロッキーはメス犬だったが、当時夢中になった映画から名付けたものだった。
2代目ロッキーは長男が小学2年の時だったか、同級生の家に遊びに行った折、生まれたばかりの子犬を見てどうしても欲しくなり、家族を説得して貰ったものだ。飼うにあたっては世話を自分でやることが条件だった。
ただ、世話をしたのは1・2週間ばかり、結局その役目は推して知るべしである。

2代目ロッキーの年齢は16歳。人間で言うと90歳前後だろうか。いつ天国から迎えが来てもおかしくはない年齢だ。
そんな矢先、体調を崩してしまった。餌や水も喉を通さない状態が続いた。飲まず食わずで1週間は続いただろうか。
いつもは一緒に散歩するのが朝の日課だが、とても立ち上がれそうになかった。私も覚悟を決めていた。
平家物語にも出てくるが、生者必滅、会者定離は浮世の習い、世の常である。出会いがあれば必ず別れの時がくる。

仕事から帰ると、真っ先にロッキーの傍に寄り、今迄にないほど優しく撫でながら、今迄の楽しかった事などを話しかけると、頷くような仕草がみてとれた。そんなやりきれない状態が何日か続いた。
すると少しずつではあるが、奇跡的にも次第に食欲が増してきたのである。ふらつきはするものの、散歩をせがむようにまで回復したのだ。
今迄は散歩の途中勝手に方向転換をすると、リードをグイッと強めに引いたものだが、それ以来優しくしてやろうと思い、励まし続けた。

以前あるブロ友さんから届いたコメントを思い出した。
その方は過去に大病を患い、生死の境をさまよい、丁度死の淵に立ち危篤状態だった時に、それまで可愛がっていた愛犬が亡くなったとのことだ。不思議なことに、その愛犬がこの世を去った日を堺に、病状がみるみる回復し、主治医が驚くほど快方に向かったのだそうだ。

実は我が家でも不思議な出来事を今から30年ほど前に体験している。
父が仕事の途中、車が大破する大きな事故に遭遇した。右折しようとハンドルを切った瞬間、後方から猛スピードで走る車が運転席側に凄い勢いで突っ込んできたのだ。車の破損状態から間違いなく人身事故、悪ければ死亡事故だったと警察が話していたのを記憶している。
不幸中の幸い、父はかすり傷一つ負わなかったのである。それと時を同じくして、当時飼っていた7歳にも満たない愛犬が、死因は定かでないがこの世を去ったのだった。実に不思議な話だが、2話とも現実にあった話である。

死の淵から生還の2代目ロッキーが、高齢にも拘わらず回復したのは未だその時にあらず、と判断したのではないだろうか。しかしながら悲しくも、平成27年5月にこの世を去った。
親戚が集まるお田植えの日に、蝋燭の灯が消えるように静かに息を引き取った。
あれからもう2回目の正月を迎えるが、朝の散歩の途中には必ずと云っていいほど、小さな墓標を見ては「おはよう」と声をかけるのである。


フォト短歌「愛犬ロッキー」  


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