エッセイコーナー
130.第36回西行祭短歌大会  2015年5月3日

先月の29日、平泉町の中尊寺 本坊大書院に於いて、選者の日本歌人クラブ名誉会長の秋葉四郎 先生を迎え、第36回西行祭短歌大会が行なわれた。
午前9時より本坊にて平泉縁の西行法師 の追善供養が厳粛に営まれ、本坊北側の大広場(大書院)に舞台を移し、100数十名の参加者を前に中尊寺の山田貫首のありがたいご講話を頂戴した。
その後今回の選者である秋葉先生のご講演が始まった。
演題は「西行の旅の歌考」
西行の歌には旅に関するものがないのではないかとの通説に触れ、西行にとって「旅」は生活そのもの。旅そのものを日常化した歌を詠んでいると説かれた。
-秋は暮れ君は都へ帰りなばあはれなるべき旅の空かな- 1122

その後、参加者が前もって提出してあった詠草の選評が始まった。
詠草集には、詠草のみの短歌も含め200首が収められていた。
私の拙歌も、ろくに推敲もせずに(言い訳)早々と提出したこともあって、1ページ目の右から5番目に載っていた。
前のお三方が欠席とのことで、開始早々2番目に取り上げられ、はらはらドキドキの評価や論評は早々に終わった。

昼食をはさみ、午後3時頃には入選作品の発表と短評まで進み、予定どおりに表彰式が始まった。

入選作品は次のとおり
中尊寺貫首賞…遠藤吉光(盛岡市)
         客絶えてひとり草ひく菜園に逝きて二十日の妻の靴あと
平泉町長賞…高橋緑花(花巻市)
         歩哨の夜の月美しく郷思ふ葉書は来しが父は還らず
平泉観光協会長賞…遠藤カオル(奥州市)
         耳澄まし呼び出し音を教えつつ足弱き母の声を待ちいる
岩手日報賞…折居路子(盛岡市)
         自炊部につづく吊橋わたり来て吹雪く外湯に病む身を浸す
IBC岩手放送賞…佐々木さやか(紫波町)
         田の雪がひき波のごと消えしあと土黒々と春陽を浴む
岩手日日新聞社賞…板宮キミ子(金ケ崎町)
         春山の空くらむまで降る雪に沼は白鳥の声ゆとりなし

佳作賞には北上市の菅野幸子さん、盛岡市の菊池陽さん、一関市の佐藤政勝さん、宮城県の朝長スミエさん、菊池トキ子さん、地元平泉町の晴山京子さん、盛岡市の阿部源吾さん、同じく盛岡市の畑岡ミネヨさんら8名が佳作に入選された。
盛岡市の菊池陽さんは、以前中尊寺貫首賞を受賞されたかなりの実力者である。

今回中尊寺貫首賞に輝いた遠藤さんの一首は、確かに、誰が読んでも涙なくして読めぬ程の哀愁を誘う秀歌だと思う。

不肖私の拙歌は、今回も入賞を果たすことが叶わなかったが、秋葉先生の実に温かみのある講評やご教示を頂戴し、本当にありがたかった。また、沢山のことを学ばせて頂いた。
・定型抒情詩の良さを再確認すること。
・品格のある言葉を残すこと。
・言い過ぎないこと。
・口語調は時代とともに変わる為に、後々まで残らないこと。
・境涯を詠むことの意味や意義。
などなど、多くの事を学ばせて頂いた。その中でも以外だったのは、字余りする場合は1句目に入れた方が良いということ。確かに5・7・5・7・7の定型を重んずる時に、下の句に字余りが多ければ締りがない歌になってしまう気がする。
学んだ事を肝に銘じながら、今後の詠歌に是非とも活かしていきたい。

今回の第36回西行祭短歌大会より、不肖私も役員の末席を汚すこととなり、運営のお手伝いをさせて頂くことになった。
今回は案内役を命ぜられ、多少なりとも役に立てたことを誇りに思うとともに、中尊寺の西行祭担当者である友の千葉快俊執事を手伝えたことが、嬉しくもあり、安堵感を覚えた次第である。

因みに、提出した私の一首
メーメーと牛の鳴声(こえ)のみ聞こえくる沈黙の空沈黙の大地
東日本大震災の次の日の早朝、被害状況を確認しようと玄間を出ると、風もなく、辺りはシーンと静まり返っていた。
ただ微かに、遠くの牛舎から寂しそうに、震えるような牛たちの不安げな鳴声だけが聞こえてくるのであった。


 

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