エッセイコーナー
299.感動の最下位  2018年4月2日

それにしてもいろんなドラマがあるものだ。
昨晩のテレビ(TBS系)番組に、「スポーツ天国と地獄 ★今だから話せる!あの名場面のウラ側SP★」と云う番組があった。
Qちゃんこと高橋尚子選手のシドニー五輪女子マラソンの金メダル秘話、野球界では落合博満元中日監督の、ノーヒットノーラン目前投手への降板問題等々、今だからこそ知り得る当時の真実に触れ、誤解が解け、感動を覚え、涙腺が大いに緩んだ一夜だった。
なかでも、日本人最速、男子100メートルで10秒の壁を最初に破った桐生祥秀選手の感動秘話や、同じ陸上界のスーパースターだった末次慎吾選手の真実を知り、感動もひとしおであった。

2016年のリオ五輪400継走の3走を務め、銀メダリストに輝いた桐生選手は、リレーに対する思いや拘りは人一倍に強いものがあったようだ。
と云うのも、中学3年の折、中学生最後の全国大会の決勝に臨んだが、不覚にも準決勝で左太もも肉離れの大怪我を負ってしまった。監督や周囲からは桐生選手の将来を心配して出場をやめるように促されたが、敢えて、無理を押して出場したのだそうだ。
その理由が素晴らしかった。リレーのメンバーたちに賞状を取らせたいとの思いからだったそうだ。

もし、桐生選手の怪我で、決勝を棄権してしまったら当然賞状の授与はなかったろう。
桐生選手はその時、これからの選手生命がそこで潰えてもいいと真剣に思ったようだ。未だ15歳にも係わらずである。
結局はまともに走れる筈もなく、チームは最下位の8位に終わったが、無事にメンバー全員賞状を受け取ることができた。実に感動的な話である。

最速のスプリンターと云えば、決して忘れられない日本屈指の短距離選手がいる。
アジア大会男子200m2連覇、世界陸上2003年パリ大会では男子200mで第3位、更には北京オリンピック男子400継走の3走を務め、見事日本を銀メダルに導いた立役者、末次慎吾(日本記録保持者)選手その人である。
当時、国内大会では圧倒的な速さ、強さを誇っており、周りからの期待はかなり大きかった。
国内大会に出場する度に1位は当然と目され、記録更新が叶わなかったときには会場から「ため息」が漏れたと云う。
それでも彼は一生懸命全力で走っていた。彼に対する期待の大きさは過剰過ぎる程だった。

そのプレッシャーからか、体調に異変をきたしていたとのこと。当時、大会に、急に出場しなくなった理由がそれだったのだ。私も注目していただけに非常に残念に思っていた。
あれから9年目、昨年6月の陸上日本選手権第2日目、男子200メートル予選のスタートラインにその姿があった。
本来走ることが好きで続けていた筈なのに、周囲からの過剰な期待によるプレッシャーから走れなくなってしまったようだが、あることを切掛に走ることの楽しさ、走ることの喜びに再び触れることができたのであろう。
結局そのレースは最下位に終わったが、ゴールする末次選手には走ることの楽しさや喜びが満ち溢れているようだった。屈託のない笑みでゴールラインを通り抜けていた。

前出の桐生選手にしろ、この末次選手にしろ、最下位でゴールを切ったが、最高で、金メダル以上に価値のある最下位ではなかっただろうか。
各アスリートたちに云いたい。
選手たちが伸び伸びと楽しみながら競技に臨んでいる姿にこそ、私達は感動を覚え、歓喜するのであって、順位や勝ち負けなどは二の次だと云うことを・・・。


フォト短歌「金メダル」  


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