エッセイコーナー
53.三声の鈴音  2013年3月21日

私は毎朝の恒例行事として、起床後直ちに歯磨きと洗面を済ませた後、直ぐさま母屋の中心部にある先祖を祀る仏壇へと、そそくさと進む。そしてお茶と水を供え、線香をあげ、経机の右側にある中ぶりの鈴を3度鳴らし、おもむろに手を合わせながら、心のなかで感謝の祈りと朝の挨拶を唱え、暫しの間瞑想にふける。この習慣は子供の頃から続いている。
若い当時は、自分や家族の安泰が中心の拝礼だったが、歳を重ねる毎に祈りの対象が変化しつつあるようだ。

今年の冬は過去に類をみない降雪量だった。特に豪雪地帯ではこれまでの降雪記録を塗り替える大雪に、人は勿論のこと、動物たちも悩まされたのではないだろうか。
「一晩で80㎝も積もったじゃ!」と北海道江別市在住の友人から電話があった。私も学生時代は札幌で過ごしたことから、電話の向こうにパァッと広がるその雪景を思い浮かべながら、久方ぶりに話す友との雪談義に、暫く時を忘れたものだった。

昨今、地球温暖化が声高に叫ばれ、ゲリラ豪雨や爆弾低気圧など、天変地異ともいえる異常気象が世界各地で頻発し、大勢の犠牲者を出している。
平成23年3月11日には、 宮城県沖を震源とする大地震にみまわれ、その上福島原発の水素爆発によって、空中に拡散した放射性物質の飛来により、汚れたイメージが強い、ホットスポットなる汚名を着せられた。2年経った今でも未だその風評被害の呪縛から逃れられないでいる、というのが現状である。

春になればタラの芽やコシアブラ、ワラビや大好物のゼンマイなどの山菜採取が楽しみの一つで、冬の間はその待ち遠しい春を指折り数え、寒さに堪え、辛抱したご褒美として山菜採りに興じていた。
また秋になれば、真夏の極暑を乗り切ったねぎらいとして、香茸や舞茸などの秋の味覚が迎えてくれた。
しかしながらその楽しみや心の拠り所が、一方的に奪われ、今後数十年にもわたる長い間、「心底から楽しめなくなってしまった」という現実に直面している。ただ、私たちのように、楽しみや趣味が奪われただけだったらまだましである。

原発事故により、それまでは何事も無く、当たり前のように暮らしていた安住の地の住み処を、理不尽にも強制的に奪われ、難民として縁もゆかりもない見知らぬ土地で暮らしている人たちが、2年経った今でも数万人もいる。
テレビの震災特別番組のなかで、福島原発で故郷を追われた高校生らが、「当たり前の事が一番大事なんだ」とインタビューに答えていた。その健気な姿が今でも強く印象に残っている。

釈尊曰く、「人もし生きること百年ならんとも、身を慎むところなくば、慎みある人の一日生きるにもおよばざるなり」ということばがある。
慎みを持つ人として正しい生き方をといた文言だが、未曾有の大災害を経験した彼ら彼女らは、それらの艱難辛苦をとおして、生きることの本当の意味や真理を知り、慎みの心を悟ったのではないだろうか。

本来、人間は自らこの世に生を受けたのではなく、「生まれさせてもらった」のであって、生きとし生ける者の為に何かをもたらし、人々を哀れむが故に、この世に出現したのではないだろうか。先祖や死者への追善回向や、広義では、世界や全人類における幸福や平和を、祈願することの尊さを改めて想起させ、且つ又、感謝の気持ちとともに畏敬の念を持ってこの世に生き、命を全うする必要があるのではないかと私は思っている。

我が家の仏壇には祖父母、曽祖父母、それ以前の先祖の位牌が祀られており、代々受け継がれ、大切に守られてきた。
江戸時代の末期、母屋に隣接する馬小屋に、消し忘れた提灯から火の手が上がり、瞬く間に母屋に燃え移り全焼したと、粗祖母や祖父から聞かされたことがある。その災禍のなかを、仏壇のみを持ち出し、他の家財道具全てが灰になったとのことだった。

先祖や子孫の為にと、死に物狂いで持ち出したのだろう。
その先祖の胸中を察し、偲びながら、毎朝欠かさず仏壇に手を合わせ、鈴を3度鳴らし、頭を下げながら暫しの間瞑想にふける。その鈴の音も、その日の天候や湿度の高低によって異なる響きをもたらす。
また、天候や湿度の違いだけではなく、私の心の動揺によって響き方が異なるのである。迷いや不安のある時は淀んで聴こえ、また体調万全でやる気が漲った朝は、清く澄んだ音色が家中に響き渡るのである。
震災から2年目を迎えた朝も、凍てつく朝だった。その澄み切った空気のなかを、特定の宗派に属さぬものの、信仰心の厚かった先祖の波長と、私の心が一致したかのように、清らかな三声の鈴の奏でが、家中に乱れることなく響きわたっていた。

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