エッセイコーナー
663.私のささやかな愉しみ  2022年2月7日

私のささやかな愉しみのひとつが、日曜日の夕食である。
と云っても、フレンチのフルコースやスペイン料理でもなければ、特上のお鮨や鰻重でもない。
一杯の手作りラーメンだ。
手作りと云っても、その辺で売っているインスタント麺である。
以前は麺を茹でたお湯とは別に、煮干しや鰹節、昆布で出汁をとり、そのスープにタレを溶いて作っていた。
しかしながら最近は面倒なので、麺を茹で終えたお湯にそのままタレを溶くと云った、横着で不精な作り方で済ませている。

インスタント麺も様々だが、最近は「これ絶対にうまいやつ!」と云うフレーズに騙され、いや、誘われ、背脂醤油に嵌っている。
トッピングは昨秋膝痛を我慢しながら育てた白菜や一袋30円程度のモヤシ、それに魚肉ソーセージをまるごと一本、更にはその上に生卵を落とし、卵白や黄身の表面に薄っすらと膜が張るまで煮上げる 。それを大ぶりの中華丼に移して適量の一味唐辛子をパラパラと振りかける。

湯気の立った熱々のラーメンを、「ポツンと一軒家」を観賞ながら辺りを気にすることなく存分に音を立て、更には卵をかき混ぜて味わいながらズルズルと啜るのである。
ポツンと一軒家の住人の、それぞれの生き様に感動を覚え、人生とはなにかをしみじみと思い、感慨を深めながら有り難くいただくのである。
私にとって、日曜日の独りの夕食はこの上ない至福のひとときなのである。

卵と云えば、第76回直木賞受賞作『子育てごっこ』の著者である三好京三の著書『みちのく食の歳時記』のなかに、キジの卵について書いた一文がある。
それによると、キジは1ダース(12個)の卵を生み、無くなるとその分生み足して12個に戻す、とのことで、昔は何個か取って食べたそうだ。
真意の程は測り兼ねるが、最近ではキジの卵をあまり見かけなくなった。

ただ極稀に、休耕田などの草刈りをしているとキジが飛び出してくることがある。
周辺を注意深く確認するとキジの巣があり、卵が確認できる。しかしながら食べたいなどとは思ったことはない。
キジは地震を予知するなど、ありがたい鳥でもある。
ただ、生み足すことがもし本当なら、キジの巣から1個だけ頂戴してラーメンに入れてみたいと、チラッと思ったりもする。
とは云え、キジの卵を目の前にすると、そんな気にはなれないだろうなぁ・・・。


フォト短歌「湯気の向こうに」  


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