エッセイコーナー
642.神鹿と鄙の夕暮れ  2021年11月19日

神鹿(しんろく)とは、神の使いとして神社で飼われている鹿のことを云う。
先日、地元消防団の広報活動が終わり、巡回途中に気になった場所があり、撮影しに行った。気になると云っても、悪い意味ではない。フォトジェニックな場所が気になったと云う意味だ。
撮影が終わり、帰路の途中だった。
なんと、立派な角を持った雄鹿が悠然をこちらを見ているではないか。

以前はこの地域には日本鹿はいなかったが、2011年3月11日の東日本大震災後からごくたまに見かけるようになった。
とは云っても今迄は夜間のみ、車のヘットライトを通してのみの目撃だが、真っ昼間から直に見たのは動物園や奈良公園にいるバンビちゃんぐらいの可愛らしい鹿だけである。
あのような立派でゴツい角を持った鹿を見たのは生まれてこの方初めてだ。
その雄鹿が現れた近くには、私たち地元民の心の拠り所である菅原神社がある。
ひょっとしたらあの鹿は菅原神社の神鹿ではないだろうか。勿論飼っている訳ではないが・・・。

菅原神社と云えば、参道沿いには春は桜、秋は紅葉の落葉樹が参拝者を和ませてくれる。
秋の終わりを迎え、落葉の始末が気になる季節となった。車の窓越しに何気なく外の様子を覗うと、右手に箒、左手に大きなビニール袋を持つ人物が歩いてきた。ビニール袋には落ち葉がぎっしりと入っている。
実に頭が下がる。
良くみると、菅原神社の直ぐ下にある舞川郵便局の局長ではないか。
本当に有り難い。

彼は地元民ではないが、消防団員の不足を哀憫し、知命を過ぎたにも係わらず消防団員として志願してくれた。
実に有り難いことである。
森羅万象、この世には「因果の法則」がある。
悪い事、悪い考えを持てば、必ずやいつかは自分に返ってくるものだ。
彼のように、奉仕の心、善の精神を持つ者は、天の胸懐にしっかりと刻まれるのではないだろうか。 


フォト詩歌「鄙の夕暮れ」 フォト短歌「日本鹿」



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