エッセイコーナー
512.いのちの尊厳  2020年8月9日

最近どうも気力に萎えが見え隠れしているようだ。
新型コロナウイルス、昨日今日と涼しいが激暑が続いた、などもその原因の一つだと思われるが、一番の原因は別のところにある。自分でも理解はしているが致し方なし。解消には多少の時間が必要になりそうだ。
間もなく令和2年度の盂蘭盆会を迎えようとしているが、今夏は新型コロナの影響で帰省者も少なく、物淋しいお盆になりそうだ。
いつもなら高校来の友人らと居酒屋などを梯子し、戯歌水游の賑やかなひと時を堪能するのだが、これもまた致し方なしである。

先日、”指定難病2”の筋萎縮性側索硬化症(ALS)に苦しむ京都府の女性が、自身の依頼によって亡くなった事件があった。事件に関与したであろう2人の医師が、嘱託殺人の疑いで逮捕された。
嘱託殺人は刑法上、一般の殺人罪とは区別され、別の規定が設けられている。一般の殺人罪よりも刑は軽く、6月以上7年以下の懲役または禁錮刑に処される。(刑法202条後段)
死亡した女性はALSの進行により、手足の自由が利かず、自らの手で自裁行為に走ることも不可能であったろう。
周りに迷惑をかけまいとの思いからか、将来に失望しての依頼だったのか、いずれにしても胸が痛い。

安楽死や尊厳死については、過去にも再三にわたり議論されているようだが、日本では今のところ認められてはいない。
海外ではオランダやベルギー、カナダやルクセンブルクなどでは合法化されているようだ。
以前、難病に苦しむ日本人女性が海外(スイス?)に渡り、安楽死により最期を迎えた。その番組を複雑な思いで最後まで観たことを今でもしっかりと覚えている。
この安楽死について、日本でも認められていたのならば、2人の医師は当然逮捕されることはなかっただろう。
生きることの辛さ、苦しさに堪えている依頼者の心情を察し、見るに見かねての所業であったのではないだろうか。
複雑な心境でニュースを観ていたのは、私だけではなかったかと思う。

カトリックなど宗教の影響力の強い国では、自殺を強く戒めたり、安楽死は認められていない傾向がある。
安楽死や尊厳死が認められている国では、必要以上の延命措置を拒否するなどを法制化されているが、前述したように日本では法制化されてはいない。
安楽死については、大変デリケートな問題であり、色々な意見があり、賛否も分かれる。
難病にかかり、全身が動かなくなったとしても、「生きたい」と思う人たちも当然ながらいる。
生存の意思や権利を、何人たりとも決して侵してはならない。

片や、身体の自由が利かず、他者の全面的なサポートに支えられながら生きていると、「もう家族を苦しませたくはない」「周りには迷惑をかけたくはない」或いは、激痛を伴いながら、日々その苦しみに耐えなければならない状態で、「もう死んでしまいたい」と思うのも、仕方がないことではないだろうか。
長い間苦しみながら生きているのは、ある意味、拷問に近い。
「生きる権利」があるように、「死ぬ権利」もあって然るべきであり、選択肢を与えるべきではないだろうか。
もし私が京都府の女性と同じような状況にあったなら、同じことをしていたのではないかと思う。


フォト短歌「野薔薇」  


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