エッセイコーナー
620.総裁選の行方  2021年9月6日

コロナ関連の倒産、廃業が相次いでいる。
感染防止の為、三密回避の励行や外出自粛等で経済に与える影響は計り知れない。
倒産や廃業が相次ぐことによって、コロナ収束以降、需要に対して供給が追いつかなくなることが懸念される。
不便さは勿論、物価の上昇に繋がる。
今コロナ禍で瀕する企業(個人事業含む)を救わなければ、今後の経済安定は厳しいと云わざるを得ない。「持続化給付金ではひと月の電気代にもならない」と経営者たちの悲痛な叫びが聞こえてくる。
それを救えるのは国だけである。

業態に見合った助成が必要なのだが、国是?とも云える緊縮財政の下では救える筈もない。
積極的な財政、しかも大胆な財政出動が求められる。
その為にはまず、国債の発行により資金の工面が必要となる。
ところが、これ迄の経済的常識論として、国債発行にともない「借金ばかり増やせばデフォルトして経済破綻する」「借金を孫子の代に残していいのか」等々、国債発行に強い懸念があった。

しかしながらMMT理論など、昨今の貨幣観及び経済的解釈が変転したことにより、金本位制当時の貨幣価値の解釈から一変された理論が、今注目を集めている。
アメリカや中国の経済発展の要因を参考にするまでもないが、管理通過制のもとでは、自国建ての通貨を、大げさだが半永久的に発行したとしてもデフォルトはあり得ないとの財政理論が主流になりつつある。
そのことから、国債発行について、「国の借金」とする言い回しはそもそも適切ではないと考えられる。
解釈を改め、表現を訂正すべきではないだろうか。

我々民間や地方自治体は通貨発行権を持たず、他から借りると借金になる。国も外国から借りると借金になるが、前述したとおり、国は通貨発行権があり、自国建ての通貨を発行している限りデフォルトはあり得ない。
よって、「借金」という云い方ではなく、「投資」「提供」いや、単なる「発行」でいいのではないだろうか。
もし「借金」と云う言葉を変えようがないとするならば、「国の借金は国民の蓄えとなる」との解釈に留め置きたい。
「世を治め人民を救う」経世済民、経国済民、コロナで疲弊し、明日への希望を失いつつある国民を救えるのは他ならぬ国であり、政治である。

今月下旬には自民党の総裁選がある。菅総理は立候補を断念し、次期総裁に数名が名乗りを上げている。
果たして疲弊する国民を救えるのは誰が適任なのだろうか。
緊縮財政派では到底救える筈はない。
積極財政を標榜する人物が、今の日本の舵取りに必要ではないだろうか。その為には、国の命運を握る難攻不落の財務省にしっかりと物が云える人物、決して諦めることなく説得ができ、粘り強く徹頭徹尾戦える人物が必要となる。
私もそうだが、そもそも男は「潔さをよし」とする生き物。況してや頭脳明晰な財務官僚が理路整然と正論で捲し立て、説得にかかれば大概の男連中は「なるほど、そうか・・・」となる筈。

先月、ドイツのメルケル首相がロシアを訪れ、プーチン大統領と対談した折、毅然とした態度で、ロシア国民や直ぐ横のプーチン大統領に対して、ロシアによるクリミア編入は違法との見方を改めて表明した。
また、ロシアの反体制派指導者で現在収監中のアレクセイ・ナワリヌイ氏の釈放を強く求めるなど、女性の底力の一端を覗かせた。
そんな意味に於いて、立候補者の顔ぶれからなんとなく想像がつきそうだ。
過去の歴代総理とは 一線を画し、性差を超えた人物が必要なのではないだろうか。


フォト短歌「秋風」 フォト短歌「梅干し」  



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