エッセイコーナー
467.高田松原の思い出「一本松よ」  2020年3月16日

昨日、久方ぶりに陸前高田市を訪れた。
高田市在住で高校時代の後輩に案内してもらいながら、復興の状況など、現在の様子を見て回った。
2011年3月11日発災の東日本大震災から9年、長いようであっという間の9年である。

防潮堤や区画整理など、大枠の土木工事は一通り終わっているかのように見受けられた。
ショッピングセンターや公共施設、中小の商店や高台に移転した一般住宅などの箱物もかなり出揃ってきているようにも見受けられた。
目に見える復興はかなり進んでいるように思えた。
そのことを後輩に問うてみると、問題は見た目ではなく、内面的充実はこれからではないか、といいたげの様子だった。
誰かが話していたが、外観の復興は10年ぐらい、しかしながら真の復興まで最低でも20年は必要だと。
心の復興はまだまだ程遠いのかもしれない。

3・11の大津波により、壊滅状態となった名勝高田松原の復活を祈願し、県やNPO法人高田松原を守る会が中心となり、4万本の松苗植樹を進めてきた。今年の7月にはその目標をクリアするとのこと。
何十年後かは分からないが、以前の高田松原、いや、それ以上の松原に生まれ変わることを期待したい。

私が小学生当時、子供会の行事で一関からマイクロバスに揺られて高田松原を目指した移動中、楽しみで楽しみでしょうがなかった。キャンプファイヤーを囲みながら皆でカレーライスを頬張り、3杯ほどお代わりしたことを思い出す。
青春時代には、高校らいの友人らと肉やビールをどっさりと買い求め、ボディーボードに興じながら汗を流した後、焼き肉をつまみに飲んだビールの美味さはまた格別であった。
還暦過ぎの我々では、あの当時の高田松原に再び出逢えることは無理だが、新しく生まれ変わる高田松原は、これからの子供たちにとって心のよりどころになるのではないだろうか。

因みに、今回案内してくれた後輩は、高校時代同じ下宿の住人であり、私は2階、彼は1階に部屋を借りていた。
ある日のこと、暇を持て余していた私は、夕食が終わり、後輩の部屋を訪れた。ところが、「先輩、勉強しなきゃいけなので帰ってください」ときっぱりと断られたのである。
当時の私は頭を丸刈りにし、髭を蓄え、 弊衣破帽で足駄(一本足駄は流石に続かなかった)を履きながら闊歩していた。喧嘩などで知人から助けを求められると直ぐ様飛んで行くなど、大概の連中からはある意味、一目置かれていた。
ところが、その後輩に「帰ってください」ときっぱりと断られた瞬間は流石に驚いた。
一瞬ムカつきはしたものの、なかなか度胸があるじゃないかと、逆に嬉しくなったことを今でも憶えている。


フォト短歌「絆の心」 フォト短歌「賢治の青」

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