エッセイコーナー
134.私の短歌考  2015年6月11日

なん日か前のとある全国紙に、「俳句を無形遺産に」とのタイトルに目が奪われた。
日本独自の文化だと思っていた俳句の、愛好者が世界中でおびただしい数に増えているとのことだ。
日本語ではひらがな文字による5・7・5の17文字の短文的詩形だが、言葉の違う海外での文字数など、決まり事はどうなっているのだろうか。
全国紙によると、国・地域によって、三行詩や一行詩などの様々な形式で詠まれているのだそうだ。
「世界こどもハイクコンテスト」として、1990年から公益法人JAL財団が世界の15歳以下の子供らを対象に隔年で俳句を募っているとのことだが、過去25年間で約50カ国、累計で65万首を超える投句があったそうだ。世界的にかなり普及しているのが分かる。

一方、俳句や俳諧の元となる和歌、今で云う短歌の普及状況はどうなっているのだろうか。
正確な数値を調べてもなかなか出てこないが、一説によると、日本の俳句人口は200万人、短歌人口は30万人とのことだが、短歌人口は決して伸びているとは言い難いようだ。
その理由として考えられるのは、
・難しい
・お高くとまっているイメージだ
・結社など、敷居が高く感じられる
・学閥の雰囲気が未だ残っているのでは
などなど、理由も様々だが、どの理由にしても全て否定し難い難しさがあることは確かだ。

しかしながらそんな事よりも、私なりの見解として何より普及しない理由は、公募展に出品する際、殆どのジャンルでは無料で作品の投稿を受け付けている。その点短歌に至っては有料の公募展、公募コンペが殆どである。
例え1首につきたったの千円だとしても、2首・3首と増やせば増やすほど懐が寂しくなり、決してバカに出来ない出費となるのだ。主催者側の内情を探ると、人気がないからそうせざるを得ないのか、否か。親鶏と卵の関係のように平行線を辿りそうだが、存続させる上で予算確保は必要不可欠、スポンサーがつかない限りやむ無しの状況だろう。  
いずれにしても俳句や川柳のような気軽さに欠けるのか、今一つ人気がないように思われる。

拙生が思うに、短歌の良さは、短い詩形として、31文字の中に物語があり、しっかりと刻むことができる。17文字ではどうしても文字数が足りず、表現できない深層の心理を、31文字には封じ込めることができ、同時に開放することも出来る。思いの丈を十二分に表現することが可能なのだ。
出来不出来、秀歌劣歌など、そんなことは問題ではない。
心の内、心情を素直に、正直に表現できればそれで良いのではないだろうか。四季の歌や花鳥風月の歌は、万葉の時代から何万首、何十万首と詠まれており、選者にしてみれば新鮮さに欠けるのかもしれない。しかしながらその人その人、詠み手詠み手がその人なりに感動し、感銘を受けながら詠む歌はそれぞれに価値があると云えるのではないだろうか。

昨今の傾向としては、私はあまり得手ではないが口語調が次第に重宝されるようになり、平易な文体による詠歌の台頭によって短歌もより一層一般的になり、かなり親しみやすくなったように感ずる。
万葉集、古今和歌集が読めず、百人一首の意味が分からずとも十分に短歌を詠むことは可能だ。
また、辛さ、悲しさ、切なさを31文字に同調させることによって、心の垢を落とし、体内に隠れ潜んだ膿を出すことが出来るのだと思う。そして明日へと希望をつなぐことができるのだと、私は確信している。


 
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