エッセイコーナー
155.テロの連鎖  2015年11月22日

アフリカ西部のマリで、宿泊客など約170人を人質に、武装グループがホテルを襲撃し立てこもっているとのこと。
また、一週間前に起きたフランスでの連続テロは、フランスのみならず世界を震撼させた。
フランスと云えば、凱旋門、ルーブル美術館、エッフェル塔などの観光名所をはじめ、シャネルやルイ・ヴィトンといったファッションブランド、口にするものではフランス料理やワインなど、文化的要素がふんだんにあって、どちらかと云えば「安全な国」といった印象が強い。
そんなテロとは縁遠そうなところで、120数名、200人以上もの一般市民の死傷者がでる大規模な自爆テロが発生した。
サッカー場、劇場、レストランとごく一般市民が寛ぐ場所での今回の悲惨なテロ行為は、決して許されるものではない。

ただ、今回の事件の内容を思惟すると、「テロ行為」と一言で言及するのは難がある。
犯行声明は、空爆に対する報復ではないかとの見方が強いISから出ているが、先日のとある番組で、コメンテーターの玉川徹氏も論じていたが、テロの概念を超えた「戦争」だと云っても過言ではないのではないだろうか。
ここまで来るとテロの範疇を越え、フランソワ・オランド大統領が「フランスは戦争状態にある」と宣言したように、正しく戦争と云うべき事態なのではないだろうか。
「テロを許すべからず」と日本を含むアメリカの有志連合が声高に世界にアピールしている。 確かに、家族や恋人がテロの犠牲になった者なら、その無念さは半端ではあるまい。悔しくて悔しくていたたまれないだろう。 報復の手段、自ら武器を持って「敵討ちしたい」という感情を誰であろうと抑えることは難しい。

しかしながらテロがテロを生み、悪が悪を呼ぶ。所謂「負の連鎖」が起こり、延々と殺し合う愚の連鎖が続くことになる。 いつかは、その根絶を実現させなければならない。例え根絶は叶わずとも、減らすことは可能だろう。
決して、理想論として断定したり、諦念の境地に至ってはならない。 そしてまた、その為にはどちらかが平和的行為の遂行を実現しないことには、絶対に不可能だということだ。
決してテロを容認し、テロ行為を許すつもりは毛頭ないが、テロを起こす原因が、テロを起こすまでの何らかの理由や経緯がある筈である。

いかなる事実であっても、勇気を持ってその事実と向き合い、真実を直視し、対処しなければ絶対に悲惨な現状を収束することは不可能だ。テロというより、前述したようにもはや戦争である。その戦争に日本は同盟国として、有志連合として加わろうとしている現実に今直面している。
ただ単に、「力」でねじ伏せることのみが本当の正義なのだろうか。それが根本的な抑止力となるのだろうか。力でねじ伏せようろすればするほど、「軋轢」を生み、そこから瓦解が始まり、更なる世界規模の戦争へと発展する危惧をしっかりと認識すべきではないだろうか。昨今の世界情勢を観るにつけ、そんな気がしてならない。

 


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