エッセイコーナー
26.便所という言葉のイメージ  2010年9月10日

イメージという概念には、固定観念という偏見からもたらされたりする概念がある。
その概念の中で、汚い場所という固定観念の中に便所という言葉がある。
便所という言葉のイメージが、汚い場所というイメージが湧いてくる経緯の中には、長い間利用したり接することにより、ごく自然に、しかも違和感無く潜在意識の中に溶け込んだイメージである。
ただ、その汚いというイメージが、程遠いと思われる施設や場所が注意深く観察していると結構あることに気づく。
その共通点の一つに、繁盛している店や会社の殆どの便所が綺麗だということである。
勿論最近の便所といえば、水洗トイレが主流であり、用を足した後にボタンを押せばジャジャジャッ~と水が流れて綺麗になる。

そのため、さほど違いは無くなってきているというのは否めない事実だが、ただ、長年使っていると、どうしても多少の水垢や尿石が付着してくる。また、便座の外側や床はどうだろうか。こまめに掃除している所とそうでない所とでは、結構差が出ているように思える。繁盛している店ほど目が行き届いているのである。
そんな観察をしていると、「では自分も」ということになってくる。思い立ったら吉日である。おもむろにトイレ用洗剤と、長い柄のついたタワシを購入してきて早速ごしごしとやってみた。経年に渡る水垢や尿石の固着は想像以上に凄かった。そう簡単に取れる筈も無く、一旦退いて作戦を練り直すことにした。

「果てさてどうしたものか」昔何かの番組の中で、スプーンを使いゴリゴリやっているシーンを思い出した。早速試しにやってみようと、便所に戻り微かな記憶を辿りながらゴリゴリと尿石を削り始めたのだった。
「オッこれはいける」とばかりに、また「ゴリゴリゴリゴリ」と。
しかし、大まかな部分はある程度落ちたものの、どうしても綺麗にはいかなかった。削った部分が斑になってしまうのである。
さてどうしたものかと再び思案に暮れた。

そんな時は調べるに限ると、ネットで検索してみることとなった。その中で、頑固な尿石にはノミと紙やすりが良いと書いてあった。
早速今度はノミと紙やすりを買出しに行くことになったが、紙やすりと一言で言っても目の粗さが様々だ。しかも便器は陶器製なので、あまり荒い紙やすりで擦ってしまうと艶も損なわれる可能性がある。
そんなことも考慮しながら、最初は目のこまい紙やすりから試してみることにした。

ところが、それではなかなか頑固な尿石は落ちないのである。段々と目の粗さを荒いものに変えていくことになり、粒度#320の紙やすりになってから、漸く頑固な尿石や長年溜まった水垢が少しずつ落ち始めたのである。夢中になって作業していると、便所が次第に綺麗になってくるのが窺えた。
それを見ていると気持ちまでもがすっきりとしてくるのである。便所に行くことを嘗て楽しいなどと考えたことはなかったが、最近楽しいと感じるようになったのも事実である。
勿論用を足した後の爽快感という意味ではない。用事を足した後の掃除が楽しいと感じるのである。というよりも、綺麗にする事に対して爽快感を覚えるといった方が正しいのかも知れない。
そうなってくると、便所を「べんじょ」と呼んでしまう事に躊躇いを覚えてくる。

便所は汚い所なのだというイメージが、潜在意識の中に溶け込んで浸透している。その為、便所掃除と聞いただけでも敬遠されがちである。
元来、便所の語源となったものは、「鬢所(びんしょ)」だったと言われている。
鬢とは、頭部側面の髪という意味で、室町時代の貴族達はこの鬢所で髪を梳かし身支度を整えたといわれている。
更に、身支度をする上で「便利な場所」という意味からも、便利所という言葉から利を省いて便所と云われたとの説もある。そんな意味でも、そもそも便所とは綺麗なイメージだったのである。現在でいえば、化粧室と言ったところではないだろうか。
そんなことから、便所という言葉が持つイメージを、本来のイメージに戻したいものだと希っているのである。

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