エッセイコーナー
561.図書館の起源  2021年1月15日

私は本を購入する時は書店やネットで直ぐに購入するのではなく、先ず地元の図書館で目を通してから手に入れることが多い。その為時間さえあれば地元の一関図書館に足を運ぶよう心掛けている。
著作を生業とする著作者たちからはあまり良いメージは持たれないであろう公開図書館だが、我々一般の読者にとって図書館は実にありがたい施設である。

そもそもこの図書館はいつ、どこで始まったのだろうか。
一説によると、奈良時代の芸亭院や鎌倉時代の金沢文庫などが挙げられるようだが、利用するには厳しい制限があるなど、一般の閲覧や貸し出しが出来る公開図書館としては相応しくないとのこと。その為1831年(天保2年)、仙台に建てられた青柳文庫が公開図書館の起源であろうと云われている。
その青柳文庫は、元・仙台藩領磐井郡東山(現在の岩手県一関市東山町松川)出身の青柳文蔵が、仙台藩に文庫建設の為にと金千両と蔵書2万余巻を献上した。それによって「青柳文庫」と名付けられ、公共施設として誰でも利用でき、公開図書館の始祖として仰がれるようになった。

文蔵は地元松川で医業を営み、名医として知られた小野寺三達の三男として1761年に生を享けた。18歳で江戸を目指し、苦学のすえ公事師(現在の弁護士)となった。「弱きを助け強きを挫く」と云った弁護士の本分を弁え人気を博すとともに、質業を営むなど、実業家としても成功を収めた人物である。

私の母の旧姓は松川、同じ松川生まれであり生家も近い。文蔵のことを尋ねると、地元の名望ある人として代々語り継がれているとのことである。
文蔵は青柳文庫の創設のみならず、生誕地の松川に大きな倉庫「青柳倉」を建てた。そこに籾四千石(約600㌧)を蓄え、飢饉に備えたと云われている。そのお陰により、天保の飢饉では全国に多くの餓死者を出したにも拘わらず、東磐井郡内では誰一人として餓死者を出すことはなかったとのことである。

因みに、若き頃の文蔵の座右の銘は私と同じとのこと。非常に親近感を覚えてならない。


フォト短歌「文蔵」    

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