エッセイコーナー
36.土いじりが好きな面々  2011年6月10日

幼い頃、私にとっては砂場が一番の遊び場だった。砂をうず高く盛り上げ、植生ショベルを使って穴を掘り、砂山を崩さずに何処まで掘れるかを皆と競ったりしたものだった。
また、掃除用のバケツを持ち出して来ては、そのバケツの中に砂をたっぷりと入れ、ひっくり返しては、バケツの「型どり」などをしたものだった。同じような砂山を何個か作り、頃合いを見ては蹴って壊し、そしてまた作ってはまた壊すといった単純作業を、あの当時、我々にとっては遊びであり立派な仕事でもあった。

今思うとまったく意味のないことでも、ただただ、楽しいと感じてやっていたものだった。ようは、砂場に居て砂と遊んでるだけで楽しかったということなのだ。
そんな子供時代の思い出を背負って大人になり、今では畑や田んぼ仕事をしていると、あの子供の頃の砂いじりの楽しさがふと脳裏を過るのである。砂いじりをやり、土と戯れるのが楽しいと感じるのである。その楽しさを知っているのは、勿論私だけではない。

私の知人の中にも、その土いじりの楽しさを心の何処かに秘めながら、同じ様に大人になって野菜作りに人生をかけようとしている人達がいる。
その一人が岩城創君。彼は、大手メーカーのエンジニアだった身分を自ら捨て去り、自分探しの旅へと海外に飛び出したのである。その旅行スタイルが所謂バックパッカーであった。

彼は、オーストラリアやニュージーランドなどの南半球に渡り、新たな何かを探し求めた。中でもオーストラリア大陸、南北約3.000kmの道程を自転車で走行している時の体験が、彼のその後の運命に、大きく係わった出来事と出会った事を話してくれた。
勿論異国の道中、不慣れな事ばかり、予期せぬハプニングはつき物である。
大陸の中央部は砂漠が広がっていて、食料確保の誤算により、走行中何度となく痛い目にあったのだという。

その時彼は、食べるという、普段当たり前に感じている行為や、当たり前のように目の当たりにしている食料に対して、生命を維持する上で食料が如何に大切であるか、そして、心の底からその有難さを実感したそうである。
そして彼は、生きる上で絶対に必要でしかも絶対に避けては通れない食料に対して、今後の人生をかけてみようと決意を固めたそうである。無事、オーストラリア大陸縦断に成功し、決意を固めた彼は、その足で日本でいうところのハローワークに直行し、現地農家のホームステイ先を紹介してもらうことになったそうだ。

その中でも、野菜や果物、羊などを飼っていた農家の一家と出会い、長閑で牧歌的な農家の営みを自身の肌で味わい感じながら、人間の本来の持つ本当の意味での生活観、人生観を改めて知ったのだという。
サラリーマンだった頃の、縦社会による息苦しい人間関係や喧騒とは、雲泥の差を改めて知ったとも話していた。
その体験を踏まえ、郷土岩手に戻り、現在ある農業法人に身を寄せ、農業実習生となりながら本格的に土と向き合い、故郷である宮古市近郊の農地を借りるなど、着々と夢の実現に向けて歩を進めているのである。

もう一人の土いじりが好きな人物とは、現在66歳、造園の仕事を本業とする会社の経営者でもある高橋静雄さん。
食の安全・安心を根底に、健全で素晴らしい人材を育てるには、食に関する知識や選択能力を習得し、健全な食生活を実践できる人間を育てることの重要性を唱え、北上市の郊外に所有する13haもの広大な農地に、桃やプルーン、リンゴや梨などの果樹園と、南部地鶏や小ヤギなどの家畜を飼い、その餌には農園の敷地内にある農家レストランから出る野菜の切れ端や、隣接する産直センターで売れ残った野菜などを餌に用いている。

更には、その家畜の鶏糞などを肥やしに使った有機農法(循環型農法)による無農薬、減農薬に拘った野菜栽培を行うなど、これからの農業はただ栽培するのみではなく、食の安全を徹底しながらも自ら加工も手掛け、「御もてなし」としての料理をも提供できる施設を運営すべきであるといった、総合的な農業経営(6次産業)を目指すべきだと話していた。
そう頑張れる秘訣は何かと尋ねたところ、「お客さんが満足して喜んでくれでる姿を見でんのが、いじばんの幸せだど思ってんだ~」と遠くを見つめながら話す後ろ姿が、今でも残像となって私の記憶の中で鮮明に残っている。

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