エッセイコーナー
45.逃避的な自我の防衛策か?   2012年8月18日

「釣りとは逃避的な自我の防衛策である」とするモーリーン・ダウド女史の提言を全て受け入れるか否かは別として、「当たらずとも遠からず」の部分はけっしてないとは言い切れないが、その逃避的な自我の防衛策とやらに、今年2回目となる渓流釣りに行ってきた。
息子の帰省に合わせての釣行だが、学生にも係わらず帰省期間は一週間のみと非常に短い。
その大半がお盆の期間であり、「殺生はするな」との先祖の教えにより釣行の期日は自ずと限られてくる。
結局は昨日の17日しかなかった。

天気予報は午後2時前後から雨の予想であったものの、当日は早朝から降ったり止んだりのぐずついた天気であった。
以前は、多少の雨は笹濁りとなり、捕食活動も活発となって比較的釣りには適していたように思うが、最近の気象状況はちょっと違う、いや、かなり違う。
スポット的な集中豪雨(ゲリラ豪雨)により、もし入渓した河川の上流部でそのゲリラ豪雨が発生した場合、急に水かさが上がり大変な状況になる。
ましてや、渓流の殆どはV字谷になっていて、急な増水は鉄砲水となって襲ってくるだろう。
そうなると一巻の終わりである。

そんなこともあって、出発前に「雨天中止だぞ」と念を押していたのだが、「行くだけ行ってみようや」との息子の促しにより行くだけ行ってみることと相成った。
夜明け前の暗がりのなか、下流部では降ったり止んだりの天気だったが、次第に辺りは白み始め、目的地である磐井川水系の支流域上空の状況が掴めてきた。
予想していたよりも遥かに落ち着いており、懸念していた雨雲の確認はなかった。

鬱蒼と茂る樹間を縫い、嘗て治山事業の工事の為に開かれたであろう道幅の狭い工事用道路が、背丈ほどに伸びた夏草の間に間に、人工的に敷かれた砂利と共に確認でき、それを頼りにゆっくりと車を走らせた。
途中何度か迷いはしたものの、無事に目的地であった渓谷の平場に辿り着くことができた。
時計を見ると5時半を既に周り、辺りはすっかり明るくなっており、上を見上げると所々に青空が確認できた。
さっきまでの雨が嘘のようだ。
逸る心を鎮めながらも釣り支度をそそくさと済ませ、熊と出食わしても直ぐに臨戦態勢をとれる武装を施し、目的のポイントへと向かった。

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