エッセイコーナー
439.武器ではなく鶴嘴を  2019年12月16日

10年ほど前、「慈愛の心」と題してエッセイを書いたことがある。
新潟県出身でネパールのムスタンに移り住む当時87歳の近藤亨さんが、10余年の歳月をかけて不毛の大地を緑の楽園に変えた。
貧しい農民たちの飢えを救い、希望を与えたその功績を、「世界を変えた100人の日本人」と云う番組で紹介された。

ネパールのムスタンは、標高3千メートル、冬はマイナス40度にもなる極寒の地。そんな過酷な大地に、米や野菜、りんごやニジマスの養殖などに取り掛かった。それだけではない。私財を投じて託児所や学校、病院の建設にも携わったのである。
私欲にとらわれることなく、愛他的精神に溢れる慈愛の心が満ち満ちた日本人である。
今から3年ほど前の2016年6月、94歳で天国に召されたが、その功績は計り知れない。

功績と云えば、今月上旬(2019年12月4日)、銃弾に倒れた医師の中村哲先生(73)もまた、偉大な功績を残した人物の一人である。
ペシャワール会の医師としてアフガニスタンに赴き、多くの患者を救った。
しかしながら干ばつの度に、飢えで子どもたちが次々と死んでいく。抗生物質では決して飢えや渇きは治せないと、灌漑用水の必要性を訴え、農業の充実を図るべく用水路の建設に乗り出した。

聴診器やメスの代わりにバックホーのレバーを握り、自ら土を掻き出し、用水路作りに汗を流した。
経済制裁や欧米の攻撃下での作業は危険が伴い、資金や資材不足は深刻な状況であったようだ。しかしながら決して諦めることなく、7年間を要した工事は稲の栽培に成功するなど、武器ではなく、鶴嘴(つるはし)でアフガニスタンを立て直すことに尽力した。

工事にはのべ60万人以上のアフガン農民が携わったと云われている。
しかしながら皮肉なことに、一説によると銃撃したのは水利権の恨みを抱く組織ではないかと囁かれている。
あまりにも悲しく、あまりにもやるせない中村医師の死であった。
心よりご冥福を祈るとともに、中村先生の意思を受け継ぎ、武器を持つ手に鶴嘴を握り、土木技術と農業技術の結集により、究極の医学、医療の実現を目指し、平和な暮らしをもたらすことを只々願い、祈るばかりである。


フォト短歌「慈愛の心」


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