エッセイコーナー
203.悠然として急げ  2016年8月22日

息子が9月より海外の大学に留学することになり、つくば市のアパートから荷物を全て引き払い戻ってきた。
帰る早々「渓流釣りに行こうや」と、いつもながらの釣行の催促があったが、なかなか時間が取れないことから、お盆過ぎのつい先日、私の仕事の合間を縫っての、今年初の釣行と相成った。そんなことから釣り始めたのは午前10時過ぎと、本来ならばとても釣果を期待できる時間帯ではなかった。
留学先の台湾では渓流釣りが禁止されているとかで、日本を出発する前に是非とも入渓したいとの息子の願いを、なんとか叶えてやりたかった。
近年は特に、ゲリラ豪雨があちこちで多発し、また前日には台風が去ったばかりだった。悪天候なら勿論中止だ。例え下流部が晴れていたとしても、上流部の天候によっては諦めざるを得ない。

幸いにも、上流部の雲は雨雲ではなかったようだ。
連日の雨がまるで嘘のように、我々の入渓を歓迎するかのような晴れ時々曇り、気温は別として比較的穏やかな一日となった。
入渓した場所は嘗て尺超えイワナに出逢った思い出の場所。
時間も時間なのであまり期待はできなかったが、例え釣果ゼロであっても、深山幽谷、千古秘境の佇まいを示す大自然に抱かれることによって、いわて国体の準備やら何やらかにやらと、心と身体にしっかりと溜め込んだストレスを解消できるのではないだろうか。日頃の喧騒からいっ時でも逃れることによって、更なる前進を加速する為の英気を養うことができるのではないだろうか。

お目当てのポイントを目指して車を走らせたが、以前とは様相が一変していた。
以前は多少のブッシュはあったものの、滑落に注意を払いながら慎重に入渓できた筈の場所も、今では背丈を遥かに超える夏草が密生しており、とても前に進めそうな状態ではなかった。
その為、入渓ポイントを探しながら慎重に進むと、渓の対岸が開けているのが目に止まった。
自然林を伐採した跡だった。それもかなり上流部まで続いているようだった。
息子曰く「伐採する為の林道を作っている筈、その林道から迂回すればいいんじゃないか」との提案を素直に聞き入れ、重機が入った跡を探すべく、渓流沿いに車を走らせた。
約1km程上流にその跡が見つかった。

近くの比較的道幅の広い路肩に車を停め、徐ろにフェルト底の胴長に履き替え、釣り竿や釣り道具、おにぎりや飲料水を詰め込んだリュックを担ぎ、熊と遭遇しても戦えるよう、防具の準備を怠ること無く、はやる気持ちを抑えながらも身支度を坦々と進めた。
つい先程まで若干の雲も点在しており、所々日陰があったが、頭上は快晴、気温も急上昇。しかしながら谷川に下りてしまえば涼が期待できる。そんな期待を込めながら重機が通った跡を、頭部からしたたり落ちる滝のような汗を、沢水で濡らした純白のタオルで拭いながら、悠然と急ぎ、黙々と迂回を試みた。
カンカン照りに体力を奪われながらもかなり進んだ。
しかしながらとても入渓できそうな場所は一向に見つからなかった。
結局、滑落の危険を回避する為に、元来た道を引き返し、車迄戻ることに決めた。

伐採した跡は宏漠としており、さんさんと降り注ぐ真夏の陽射しを遮る場所は何処にも見当たらなかった。滝のような汗を拭いながら、ふらつきふらつきトボト ボトボトボと、足を前に出すことのみを意識しながら元来た道を黙々と引き返したのだった。
帰路の時間は来た時間の倍を費やしたのではないだろうか。
やっとの思いで辿り着き、背負っていたリックを投げるように放り捨て、近くの浅瀬に死体のように横たわった。
なんて気持ちがいいのであろうか。正しく天国であった。
暫し、冷たい渓水で身体中の火照りを冷まし、息子ともども活力を取り戻す迄、涼を楽しんだ。
結局のところ、「急がば回れ」いや、「急がば回るは時と場所によりけり」を肝に銘じたのだった。

暫くしてから林道を徒歩で下り、背丈以上もあるブッシュを漕ぎ分け漕ぎ分け、やっとの思いで渓にたどり着いた。
一息入れ、はやる気持ちを宥めながら釣り糸を静かに垂らした。しかしながら何投振ってもあたりはこなかった。
結局、一旦諦めたポイントを、昼食をはさむなどして多少の時間を置き、再度釣り糸を垂らすことにした。
すると驚いたことに、一尺近い良型のイワナが、息子の持つ先調子の釣竿をしっかりと撓らせたではないか。再度釣り糸を垂らすと、再び同サイズの良型イワナがヒット。その後入れ食い状態となり、息子も満足した様子だった。

自然の恵みに、心より感謝し、欲をかくことなく、ほどほどの釣果に満足し、畏敬の念を持って拝礼を忘れず、悠然と帰路についたのだった。
次回の釣りは、息子が帰国する時迄じっくりと待ちたいと思う。

因みに、開高健が井伏鱒二との対談でこんなことを云っていた。
「ところで、孤独を求めて釣りにいくというのが世間の常識になっていますが、静かな所へ行くと余計雑音が聞える。
自分の心の雑音が。特に最初の一匹が釣れるまでは妄念妄想がこみ上げてきて、こんな綺麗な山の中の湖、アイスランドの北極に近い所までやって来て、まだこんなイヤらしいことを考えている、と思うと、つくづく自己嫌悪に陥るですね。
一匹釣れたとたんに輝ける虚無と化すんですけれども、その一匹の釣れない日は陰惨ですね」
と。・・・・・・

ただ、私ら凡人には余計な雑音は聞こえてこない。聞こえてくるのは謎めき変わる穏しかな瀬の音や清冽な渓水が落下する滝の音、時折吹く涼しかる小風になびく葉音、それ以外にはアカショウビンやアオゲラなどの心地よい鳴き声ぐらいである。・・・・・・

フォト詩歌「午後の斜光」 フォト短歌「午後の斜光」 伊藤英伸の渓流釣り  

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