エッセイコーナー
90. 69年目の今日  2014年8月5日

広島原爆投下から、今日で69年目を迎えた。
先日あるTV番組で、原爆の恐ろしさや酷さを後世に語り継ぐ為、広島平和記念資料館スタッフによる遺品集めの様子が映っていた。
原爆の恐ろしさを、生で知る生存者は既に80歳を超え、実体験を話す語り部の方たちも何れはいなくなるだろう。そうなれば、実際に原爆の恐ろしさ、凄絶さを後世に伝えうるものと言えば、原爆遺品以外にないのである。 

喉元過ぎればなんとやらで、つい3年ほど前に起きた東日本大震災ですら、一部では忘れさられようとしたり、何事もなかったかのように扱う政治家もいるようだ。
被災を教訓として、災害遺構として後世に残し、都度、災禍や戦禍の悲惨さを再確認する必要があるのではないだろうか。 その為にも、実体験による実話を耳にしたり、原爆遺品を観たり、或いは実際に触れてみたりすることが、「何よりも説得力がある」というものだ。

「歴史は繰り返される」と云うが、繰り返さぬよう努力し、務め、そして同じ過ちを犯さぬようにする事こそが、理性を持つ我々人間の務めであり、使命であるのではないだろうか。
家族の愛や、未来への夢を一瞬にして奪った原爆を、投下したB29爆撃機「エノラ・ゲイ」の最後の生存者が先日亡くなったとのこと。
アメリカでは、原爆の投下が戦争の終結を早めたとして、エノラ・ゲイ搭乗者12名が英雄視されている。

当時、広島には約35万人の市民がおり、原爆投下後約半年の間に約40%の市民が亡くなった。
なかでも、武器を持たない子供や女性、老人がかなりの数に上る。正しく、無差別殺戮が行なわれたのだ。
これをもって英雄とは如何なものかと思うが、それが戦争であり、現実というものだろう。

マレーシア航空の墜落事故をもたらしたとされるウクライナでの紛争。また、パレスチナ自治区ガザでは、イスラエルと組織ハマスとの武力衝突によって、多くの罪のない子供たちが犠牲となっている。
新たな情報では、3日間(72時間)の停戦に入ったと報じられている。暫しの間、数日間のみの停戦があるようだが、何故もっと長く、いや、終戦に持ち込めないのかと、歯がゆくなるばかりだ。

家族や身内が犠牲になればなる程、憎しみを生み、知人や国民が犠牲になればなる程、遺恨を残す。
殺戮が殺戮を生み、無差別による多くの市民らが犠牲になるのは自明の理である。是が非でも避けなければ……。




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