エッセイコーナー
152.美過全皆  2015年10月21日

高校時代の応援団メンバーの一人が、当時口癖のように話していた彼独自の格言を、私は今も思い出しては暗唱することがよくある。「過ぎてしまえば皆美しい!」ちょっとキザだが、言い得て妙だ。過去は過去、過去に戻ることは決してできない。過ちは誰にだってある。失敗も必ずある。その過ちを、その失敗を、過去に遡ってやり直すなんてことは絶対に不可能なことだ。そんな物理的に不可能なことを、攻め立て、揶揄し、嘲笑するなどの行為に対して甚だ狭量であり度量の狭さを感じる。
万事に於いて、「過ぎた事に対して皆美しいのだ!」と思う姿勢が大事なんだ、と改めて思い起こさせられる訳だが、そんな崇高で尊い話を、先日どこかの番組で放送していた。

現代のシンデレラこと、ノルウェーのメッテ王太子妃の実話である。 王太子妃は嘗てドラッグパーティーに出入りするなど、荒んでいた時期があったようだ。
決して品行方正ではなかった彼女を、愛し、認め、受け入れたホーコン王太子との愛の物語である。 ホーコン王太子はもとより、国王ハーラル5世ご夫妻の寛容の心は実に素晴らしい。
一般的に、王侯の血脈を累々と継承させる為にはそれなりの家系や血統を重んじる傾向があるのが通例だろう。普通の民間人、しかも素行不良の経歴を持つ人間を受け入れる寛容さには、崇敬、尊崇の念を禁じ得ない。
当然、国民からは不評を買い、王族に対する人気度が急落したそうだ。

そのことに胸を痛めた王太子妃は、責任を感じ、国民の前で涙ながらに過去の不祥事を正直に告白し、謝罪した。
その正直で真摯な態度に、国民は理解を示し、感動した。 そのことによって王族に対する支持も一気に回復したとのことだ。
今では家族睦まじく、幸せそうな王太子一族を見るにつけ、国民から受け入れられ、人気は以前よりも増したそうだ。
寛容の心、慈悲深いノルウェー王族、そして宥恕のノルウェー国民を知ることができた素敵なお話しであった。

創設70周年を迎えるユネスコの登録問題、南京事件を世界記憶遺産に登録したことに対し、日本政府はユネスコへの不信感から、分担金・拠出金の支払い停止を示唆する発表があった。
内容はともあれ、直ぐ様敏感に反応し、目くじら立てるのではなく、刹那的な言動を慎み、感傷論は極力避けながらも、冷静な対応を望みたい。一歩下がり、寛容の心を持って接せることにより、啀み合っている相手国も登録を却下するかもしれない(勿論ないかとは思うが)。

何れにしてもお互いに云えることだが、こちらが牙をむければ、必ずや相手も牙をむき返してくる。
犬歯を更に鋭くして。
寛容の心を忘れずに接すれば、必ずや相手もそれに応えてくれると信じたい。 ただ、記憶遺産は本来、純粋に文化的・歴史的な内容を後世に残すことを目的としたもので、非政治的な制度である筈だ。 ユネスコの事業が、政治利用されるようであっては決して良くないと云うことだけは、申し添えておきたい。

過去は過去、改むるに憚りなし、罪を憎んで人を憎まず、そんな度量の大きさ、広さを持ちたいものだ……。



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