エッセイコーナー
44.ブル・バイティング  2012年7月14日  

12 世紀の頃から、イギリスでは雄牛と闘犬とを闘わせるブル・バイティング(もしくはファイティング・ブル)というスポーツ?が行われていた。それは、雄牛を 柵に縄や紐で繋ぎ、そこに闘犬を放して闘わせるといった謂わば牛虐めの残酷な見世物(1835年に禁止された)だった。当然、賭け事の対象にもされてい た。
それが為、闘犬として更に獰猛さを増すことを目的として、色んな犬種をかけ合わせ、より強い犬が作り出された。
その犬種の中に、ブルドックやブルテリアなどがある。
今、世界各国の愛犬家や動物愛護団体を騒がせているのが、北アイルランド・ベルファストでの、危険な違法犬種だとして飼育が禁止されているピットブルテリアのレノックス(Lennox)7歳が、野犬捕獲員に連れられ、殺処分を受けた。

飼い主のキャロライン・バーンズ氏によると、家族に可愛がられ躾も行き届いていたとのことだった。
ピットブルテリアは本来、素直で我慢強く、人間に対する忠誠心や服従心の強い性格だと云われている。
また、闘犬としての剛健さや強靭さのみならず、賢さも持ち合わせており、早期の社会化と服従訓練によっては、他犬種からもリーダーとしての信頼を得られる存在だと云われている。
前掲の処分とは反対に、嘗て日本では犬をあまりにも可愛(実際は犬だけではない)がるあまり、5代将軍徳川綱吉公は生類憐みの令を発し、苛烈な悪法として、当時の一般民衆からは幕府に対する不満の声が高まった。

しかしながら本来は、「殺生を慎め」という意味の謂わば精神論的法令だったようだ。
確かに、「命あるもの」への崇高な念は非常に重要であり尊いことだが、しかしながらそれは、過剰であっても希薄であっても困りものである。
ましてやそれが、強制力を持つ法律や条例、或いは国家権力であっては尚更のことだ。
人間のエゴや身勝手なご都合主義により、作り出され飼育される動物たちは、果たしてどんな風に思い、どのように人間を観ているのだろうか。

ロッキー 

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