エッセイコーナー
645.菊池知勇と芦東山を訪ねて  2021年12月4日

昨日時間をみて一関市大東町の2箇所に足を運んだ。
その一つが、歌人の菊池知勇の生家跡に建つ歌碑(第3歌碑)。もう一つが刑法思想の基礎を築いたとされる芦東山の記念館である。
一関・文学の蔵発刊の『ふみくら6号』(2022年5月刊行予定)に寄稿する予定もあり、是非一度訪れ、菊池知勇の歌碑を写真に収めたいと思っていた。

菊池知勇は歌人として知られる一方、綴方(作文)教育の分野で大きな功績を残した教育者としても知られている。
岩手県盛岡市の城南小学校に着任する切っ掛けとなったのは、当時の校長から必要な迄の誘いがあってのことだったようだ。城南小学校は当時、全国の模範6校の一つに数えられていたそうだが、優秀なのは読方であって、綴方(作文)はそれほど良くはなかったようだ。

その為、知勇は綴方を研究していたことや、石川啄木や若山牧水、前田夕暮ら中央詩歌壇の新進気鋭の歌人らの寄稿を得て、月刊『コスモス』(知勇の黄疸入院が長引き1年数ヶ月で廃刊)の発行もあり、その実力を買われ誘いを受けたようである。
その後、活動の拠点を東京に移し、若山牧水創刊の歌誌『創作』の創刊号から出詠するなど、刊行を支えていた。
やがてその実力を認められ、若山牧水の許可を得て1927年(昭和2年)に月刊『ぬはり』を創刊。
長寿の短歌誌として現在も続いている。
前述したように『ふみくら6号』の寄稿の為、歌碑に対峙したが、その功績と人となりに触れ改めて感慨を深めた次第である。

知勇の歌碑を後に、同じ町内の偉人、芦東山(あしとうざん)の記念館を訪れてみた。
私は学生時代、ゼミでは刑事訴訟法を専攻していたこともあり、以前から東山に興味はあったものの、今迄行けずじまいであった。
前述したように東山は現在の刑法学の礎を築いた人物である。
1696年(元禄9年)に仙台藩磐井郡東山渋民(現・一関市大東町渋民)生まれ、儒学者として仙台藩第5代藩主伊達吉村に仕えた。

一般庶民や弱者擁護を念頭に置く東山は、当時の人命軽視の藩政に不満を抱き、『七か条の上言』により、藩に対して上言をした。それにより藩主の逆鱗に触れ幽閉の身となった。
しかしながらそれに屈することなく、幽囚の身を押して『二十二か条の上言』を基に、1755年(宝暦5年)、見せしめや懲らしめの為の刑罰ではなく、更生させる為の教育刑としての刑法思想の根本原理を唱えた『無形録』18巻を編纂した。
詳しくは追々調べ直して私のサイト等に記載してみたい。


フォト短歌「霜の声」 フォト短歌「芦東山」

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