エッセイコーナー
677.日々淡々  2022年3月19日

3月16日の夜半、お風呂に入ろうと立ち上がった時だった。
夜のしじまを切り裂き、ぐらぐらゆらゆらと強い揺れに一瞬たじろいだ。しかしながらスマホからの緊急地震アラームが鳴らないことから、あまり気にも止めなかった。
念の為にとテレビのスイッチを入れ、地震情報を確認してみることにした。
揺れも収まり、たいしたことは無いと思った瞬間、ガタガタガタグラグラグラと再び揺れ出した。
テレビやスマホから警戒アラームが鳴り始め、また直様、地元自治体から配られてあった災害時用の防災ラジオからもけたたましいアラームが鳴り出し、家中に響き渡った。
震度5強の強い揺れに、11年前の東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)の激しい揺れが恐怖と共に蘇った。

年老いた母親を担いで直ぐ様家を出ようと、母の寝室に急いだ。しかしながら3月中旬の岩手は、況してや深夜ともなると冷え込みがきつい。少し様子をみようと母親から離れずにいると、次第に揺れが収まってきた。
11年前の東北地方太平洋沖地震の揺れは兎にも角にも強く長かったが、今回の福島沖地震はそれ程長くは続かなかった。
余震に注意を払いながら暫く様子を窺い、お風呂に入ろうか否か迷ったものの、入浴中に激震に襲われようものなら大変である。
結局のところ、11年前もそうだったが、直ぐ様起きて行動できるようにと着の身着のままの状態で布団に潜り、まんじりともしない夜を熟睡できずにうとうとと過ごし、一夜を明かした。

幸いにも大きな余震はなく、無事に朝を迎えることが出来た。
家の中は地震後に落下物などを片付けておいたので、早速家の外、周辺の被害状況を確認してみることにした。
母屋外壁の漆喰に若干の破損や亀裂が見て取れたが、築約170年の古民家、被害状況の正確な判断は難しい。つまり最初っから壊れているか否かの判断がつかない箇所があるのだ。
母屋は然程の被害はないと判断し、それ以外の建物を確認して廻ると、なんと、土蔵の北側の漆喰がばっさりと落ちているではないか。
江戸時代中期に建てられた土蔵だが、今から44年前の昭和53年6月12日の宮城県沖地震によって漆喰が崩落した為、塗り直したものだが、11年前の東北地方太平洋沖地震でかなりの亀裂が入っていた。特に4月の強い余震でかなり傷んでおり、次に強いのが来たら終わりだなと思っていたが、案の定である。

今回の福島沖地震も東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)の余震とみられているが、気象庁によると、東日本大震災の余震とみられる震度1以上の地震は、これまでに1万4千回以上にのぼり、そのうち震度5弱以上が80回もあったとのことである。
昨夜も岩手北部沿岸を震源地に、震度5弱の余震とみられる強い地震があった。
「天災は忘れた頃にやってくる」との寺田寅彦の言葉を心に刻み、肝に銘じながらもコロナに気を配り、他国の脅威を感じつつも、今後の人生、日々淡々と送らねばならないと改めて思った次第である。

東日本大震災10日間の記憶 2011年3月26日


フォト短歌「土蔵の壁崩落」




≪return    Tweet   
 スポンサード リンク (Sponsored Link)
  注:当サイトは著作権を放棄しておりません。引用する場合はルールをしっかりと守るようご注意願います。