エッセイコーナー
599.樋熊  2021年6月23日

先日、札幌の市街地にヒグマが出没して数名に怪我を負わせる事故があった。
また同じ北海道古平町では昨年の5月、やはりヒグマに襲われ、遺体を持ち去られたのではないかとの痛ましい事故があった。自宅から僅か500mの笹薮でタケノコ取りをしていた時に襲われたとみられている。
熊の事故が後を絶たない。
遠く迄タケノコ取りに行くのなら、それなりの格好や警戒もしようが、毎日生活している身近な場所となると、警戒心が散漫になるのも理解できる。
先ずもって被害にあわれ、未だ遺体が見つからない酒井さんに、心よりご冥福をお祈り申し上げたい。

私も過去に4・5回熊(ツキノワグマ)と遭遇しているが、もし私の家族が同じような目にあったなら、私は絶対に熊を許すことはできないだろう。
早速狩猟の免許を取り、徹底的に熊を追い詰めるだろう。肉親の仇に対する憎しみはとても消えそうにないと思う。
しかしながら酒井さんのご子息は、熊との共存共栄を願っているとのことである。
実に寛大な対処であろうか。度量の大きさに心底から尊敬せずにはいられない。

本来なら熊とて、なにも殺したくて人を殺した訳ではないだろう。熊の好物であろうタケノコを食べに来たら、たまたまそこに酒井さんと出くわした。
熊は必ずしも人間を敵対視している訳ではないであろうし、我々人間とて熊をやみくもに敵対視している訳ではない。
人間と野生動物との境界線、テリトリーの線引きは確かに難しい。
嘗て里山には多くの民家もあり、人間の生活がしっかりと営まれていた訳だが、里山から次第に人が離れ、自然回帰が進んでいるのが現状であろう。

また、他に考えられることは、乱開発が進み、どんどん野生動物が行き場を失い、餌を求めて里山に下り、人家近くに出没するようになっている。
また、動物愛護法の関係により、個体数の問題もあろうことから、決して自己責任論でかたずけられる問題ではない。
今回の事故のように、以前であれば自宅から僅か500mの近距離にまで熊は近寄ってはこなかった筈である。
自然環境の変化が、今回の事故を招いたと云っても過言ではあるまい。

また一方で、「自然を侮ってはいけない」と云う警鐘でもあるのではないだろうか。
自然の驚異、猛威を侮り、手軽に自然と触れ合おうとする動画を最近よく目にするが、大自然を決して甘く見てはいけない。畏敬の念を持ち、細心の注意を払いながら自然に触れ合うことが大事なのではないだろうか。
そうすることができたなら、自然は必ずや期待に応え、何某かのご褒美をくれるに違いない。

282.熊の保護か、人間を守るか  2018年1月10日


フォト短歌「タイマン」  



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