エッセイコーナー
40.いわての大将「ひたすらな愛情」  2012年1月6日

多くの尊い命を一瞬に奪った3・11の未曾有の大災害は、日本中の人々の心を傷つけ、そしてズタズタに引き裂いた。
しかしその反面、人が人であるための本来の姿やあり方、他人に関わり合い、そして愛を持って支え合おうとする思いやり、そしてその絆を更に深める事となった。
日本全国から、痛みを分かち、少しでも被災者のためにと、実に多くの「まごころ」が届けられ、或いは我が身を挺して瓦礫の撤去や側溝の泥上げなどの労を買って出る人達が後を絶たない。これは正しく、ボランティア精神の根幹をなす愛他主義に他ならない。

被災地気仙沼でのボランティア活動で出会った若者達、一人は大阪、そして神奈川、もう一人は青森から参加したという彼らは、現地入りしてから既に10日目になるという。
泥上げ作業のちょっと空いた時間に、「ところで、仕事は大丈夫なのか」と尋ねると、「ハイ、僕達は皆ニートです」と後ろめたそうに小声の返事が帰ってきた。
私はそれを聞いて、その場にはとても居られない衝動にかられた。
世の中では、ニートを問題視する向きがあるけれども、彼らは十二分に社会に貢献しているではないか。

また、陸前高田で何度か出会ったボランティアの一人に、原発事故の二重苦を背負う福島県二本松市から、5月の連休以来、週末には毎週のように参加しているBank of Japanの現役職員もいた。
また、広田町でのボランティア活動で出会った彼らは、神奈川でIT関係の職に就いているという。
彼らの体躯を見ると、とても力仕事など経験した事がなさそうだったが、汗だくになりながらも一生懸命に瓦礫を拾っては捨場へと運んでいた。「少しは休んだ方がいいよ」と促しても、休む時間が勿体ないからと言って黙々と瓦礫と格闘していた。

ボランティアの定義や理念の中で、最も重要なものは、自らの自由意志で行う自発性である。斯くてボランティア活動をとおして出会った人達皆が、この自発性を持って行動し、他人や社会の役に立つ事によって自分の存在意義が確立されるという大義を、皆、各人の心に秘め、そして心に刻みながら社会に対して奉仕、貢献しようとしている。
私が心より尊敬する人物の一人に、我が身を顧みず、全滅と言っていい程津波の被害を受けた大槌や陸前高田などの被災地に、4tトラックに食料や衣料品などの生活必需品を支援物資として満載し、勿論身銭を切りながらも何十回となく運んでいる人物(以後いわての大将と記す)がいる。

その活動の中には、以前商売をされていた被災者の方に、いわての大将が所有するプレハブやコンテナハウスを無償で提供し、再起をかけ、これから頑張ろうとする被災者の方への支援にものりだしていた。
この善の行為、徳の行いを知り、ある民間の支援団体や以前ニュースでも放送されたが、四国香川県にある有名店の製麺屋さんから1万食分もの讃岐うどんを送ってこられ、「是非被災者の方々に差し入れて欲しい」と、いわての大将に託されたとのことだった。
それを受けて、いわての大将の仲間である北上市商工会工業部会のメンバーらと共に、現地で炊き出しを行っている様子が民放のニュースでも紹介された。

世の中には、このいわての大将のように、我が身を挺し、善の心を持ち、底知れぬ沢山の愛を、ただひたすらに他人に対して注ぐ人達がいるということを、今回の震災をとおしてまじまじと知ったのだった。
本来の意味である『情けは人の為ならず』とは逆に、『ただただ一方的に相手を思いやる、ただただひたすらな愛情』を、心の底から知ったことが、 私にとっては最高の喜びであり、一生の宝物である。

※大将とは、柴錬こと柴田錬三郎氏(故)が、当時、佐世保重工業や来島どっく、日刊新愛媛(休刊)など数多くの企業を再建させた稀代の実業家、坪内寿夫氏(故)をモデルとした小説『大将』からとったもの。
私が若かりし頃、四国愛媛県の奥道後温泉に、四国の大将こと坪内氏にお会いしたく、お訪ねしたが、丁度再建の最中、日本各地を奔走しておられるとのことで、結局、拝謁の誉にあずかることは叶わなかった。その坪内氏と、風貌や度量の広さ、心の大きさが、初めていわての大将にお会いした時、ダブって観えたのだった。

いわての大将を私の知る範囲で紹介>>





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