エッセイコーナー
585.稲の声 (一関・文学の蔵発刊『ふみくら創刊号』寄稿文)  2021年4月18日

良寛禅師の『奇話』のなかに、「郷言、稲ノ豊熟スルヲボナルト云。ボナルハ吼ナルト云事ナルベシ。師是ヲ聞テ、稲ノ吼ヨルヲ聞カントテ、終夜田間ニ彷徨セラレシト」という一文がある。
良寛禅師は稲の吼(ほ)える声が聞きたいと、ひと晩中田圃の畦道を彷徨ったというのだ。
私もこの奇話に興味をもち、両耳に神経を集中させながら秋の田圃を歩いたものだが、未だ嘗て耳にしたことはない。

我が家は、今の場所に移り住んで400年程続く稲作農家である。
築160余年の古家の2階に私の寝室があり、毎朝、起床の度に、麗しく聳える三角山を真正面に眺めながら徐に朝の身支度をする。
我が家の初代はその景色を眺めながら余生を送りたいと、孫の一人を伴ってこの場所に隠居したと云われている。

ひと昔前の稲作は機械化の進んだ今とは異なり、鍬や鋤を使った体力勝負の人海戦術で稲を育てていた。
私の幼少の頃の思い出として、今でも鮮明に甦るが、春のお田植えや収穫期の稲刈りなどは多くの人達で賑わっていた。午前10時頃や午後3時頃になると、「いっぷく」と称して前方に聳える長閑やかな山容を眺めながら、田圃の畦畔にどっかと腰を下ろして、おにぎりや漬物を頬張りながら世間話に花を咲かせていた。
幼少の私にとってはそれが楽しみの一つでもあった。
機械化が進む昨今、そんな牧歌的な光景はなかなかお目にかかれなくなった。

また、今でこそ珍しいが、収穫期になればあちらこちらの田圃に「ハセ」や「ホンニョ」と呼ばれる稲掛けが列をなしていた。刈り取った稲束を天日に晒し、乾燥させる農法だが、今は乾燥機で強制的に乾燥させ、水分調整を機械的に図るのが一般的である。
我が家の圃場の大半もこの機械乾燥で仕上げているが、飯米分だけは昔ながらの天日干しにこだわっている。(天日干しは平成30年で終了)
そのこだわり農法のためには、昔ながらのバインダーで稲を刈り、刈り取った稲を乾燥させるハセやホンニョを作らなければならない。

我が家は螺系形に積み上げるホンニョで乾燥させる。
組まれたハセやホンニョをただ眺めるぶんには、「牧歌的で郷愁を誘う景色だ」などとノスタルジーに浸れるのかもしれないが、作業はいたって手間がかかり、実に大変なのだ。
乾燥期間は約3週間から4週間程。
天日に晒し、清々しい秋風に揺られながらじっくりと乾燥させ、脱穀作業へと進むのである。
「一粒百業」と云われる如く、たった一粒のおコメを作るのには多くの行程を経なければならないのである。

ひと昔前、新渡戸稲造は能登半島や伊豆半島に一線を引き、それより北の地域で稲作を行うのは危険だと説く「東北稲作不適地論」を展開していた。当時の一般的な通例として稲作の適地云々を論じていた。
南部藩生まれの稲造自身、周りの農民が冷害に苦しむ姿を嫌というほど見てきており、北国の稲作の難しさ、厳しさを実感していたに違いない。

しかしながら今は違う。
冷害に強く、しかも美味しいおコメを目指して品種改良が進んでいる。ましてや地球温暖化の影響もあってか、稲作の適地も北上しているように思える。
鈴木正三(しょうさん)和尚の『四民日用』の一文に、「農業則仏行なり」と云う文言がある。
百姓は自分の食べる分以外に、世の中に返しているから偉大だが、自分のような僧侶は社会的な寄食者だと述べている。
その言葉を胸に、今後も自信と誇りを持っておコメ作りに精進し、秋には「もう刈り時だよ」と吼える稲たちの声を、聞き取れるようになりたいものだと願っている。


フォト短歌「霊験の湯」  

一関・文学の蔵発刊『ふみくら』


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