エッセイコーナー
764.イラク人質開放事件の映画化を「アントニオ猪木イズム」  2022年12月24日

先日、TBSの年末特集で「報道の日2022」と云う番組があった。
私はいつも、日曜日の夜は週に一度の手作りラーメンをすすりながら、「ポツンと一軒家」を観るのが私のルーティーンなのだが、テレビのスイッチを入れたところ生憎他の番組が流れていた。仕方なく裏番組を覗いてみると、冒頭の報道番組が流れていた。
途中からなので全体を知るよしもないが、アントニオ猪木さんのところだけはしっかりと観ることができた。

猪木さんは今年の10月1日、残念にも帰らぬ人となったが、他界する前に是非会いたかった人物がいたようである。
その人物とは、1990年(平成2年)8月、クエート在住の日本人ら41名がイラクに移送され、人質となって監禁された事件があったが、その時現地で人質開放に尽力した当時商社マンの野崎さんだった。
日本人41名が人質に取られたものの、イラクと国交がないとの理由で日本政府は何も手を打たなかったそうだ。
それを見るに見かねた猪木さんが立ち上がり、自腹でイラクに渡り釈放を呼びかけたのだそうだが、説得交渉のみでは埒が明かなかったようだ。

猪木さんはイラク側に日本の文化等を理解してもらう為に、一計を案じて「平和の祭典」を開くことにしたのだそうだ。ただ、その際に、日本の航空会社からキャンセルされ、已む無く、当時親交のあったトルコの大統領と直接交渉し、トルコの旅客機をチャーターすることになり、人質となった日本人の家族を同行させ、イラク側を説得しようと試みたそうである。
その甲斐あって、当時イラク大統領のサダム・フセインの息子で、当時イラクのオリンピック委員会長だったウダイ・サッダーム・フセインとの交渉を実現。そのことが引き金となって奇跡的に日本人41名が釈放されたのだった。

当時はニュースなどで連日取り上げられ、流石は猪木さんだと感動したものだったが、30年経ってその記憶は薄らいでいる。今回の番組のお陰で、改めてアントニオ猪木さんの偉大さを再認識出来た。
猪木ファンにとって10月1日はあまりにも悲しい日となったが、我々猪木ファンの心から、猪木イズムは未来永劫消えることはないだろう。
映画関係者にお願いだが、是非とも、イラク人質開放事件の映画化を企画し、前代未聞の偉業を成し遂げたアントニオ猪木さんらの功績を、歴史の一頁として後世に残して欲しいものである。


フォト短歌「猪木イズム」
     


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