エッセイコーナー
862.仁徳善政  2023年10月3日

仁徳善政とは私の造語だが、仁政とは思いやりのある政治、徳政とは恩恵を施す政治、善政とは国民にとって正しく良い為政に務めることを云う。
昨今、電気代やガソリン代、食料品や衣料品などの生活必需品が高騰し、じわりじわりと生活苦を実感するようになってきた。
また、コロナ禍でのゼロゼロ融資返済が本格的に進み、今尚資金繰りに苦しむ中小企業、特に建設会社や自営業者らが今後更に経営難に陥ることは朗然たる事実である。
それに輪をかけるかのようなインボイス制度。いやはや!日本に未来はあるのだろうか?

一つの会社が倒産することによって従業員やその家族が路頭に迷い、関連会社や取引業者も連鎖し、それによって各社の従業員や家族をも巻き込んでいく。
東京商工リサーチによると、先々月の倒産件数は前年度の1.5倍。その前の月もかなりの倒産件数だった。その余波は2乗3乗と広がり、瞬く間に膨らんでいく。
このままでは今後更に増えることは自明の理である。
電気代やガソリン代、生活必需品の価格高騰の煽りを受けながら、税金や保険料など更なる負担が増すばかりである。

国民一人ひとりが真剣に考えていかないことには、本当に日本の未来はないのではないだろうか。
このままでは江戸時代の五公五民、やがて六公となり国民は死(四)民になりかねない。
そうなれば農民一揆どころか国民一揆が勃発し、混沌の世の中へと変貌し、秩序が失われて暴力が支配する時代(どこかで聞いたな・・・)へと変わる。
そうなる前に、手遅れになる前になんとかしなければいけない。

そんななか、隣県の青森県知事が大胆な政策を打ち出した。
緊縮オタクらには単なる「ばら撒き」としか映らないだろうが、明石市の泉房穂元市長が徹底した子育て政策で実績を残したように、青森県の宮下宗一郎新知事も大いに期待出来るのではないだろうか。
通貨発行権を持たない地方自治体ではかなり苦慮することは察しがつくが、誰かがやらなければ地方は疲弊するばかりである。若き宮下宗一郎知事の仁政、徳政、善政はとても素晴らしく、実に立派である。
明石市では「タコマネー」として地元民に配ったように、青森県は大間のマグロが夙に有名である。
タコマネーならぬ「マグロマネー」で財源を確保し、本当の意味で「実」のある少子化、子供対策を大胆に打ち出してもらいたい。

本来なら管理通貨制度のもと、通貨発行権を有する国、政府が動くべきことだが、如何せん肝心要の金庫番は本来の財政政策を蔑ろにして、政界工作にばかり労力と時間を費やしているとか。
更に肝心要の政府は金庫番の顔色を伺っているばかりだ。
国民のことなどそっちのけであると思えて仕方がない。
国民が居るから国家として成り立つのであって、その逆は過誤なり。
財政観や貨幣観をしっかりと正していただき、国民に主権を取り戻し、仁政、徳政、善政に、一刻も早く立ち戻っていただきたいものである。

追記
<通貨発行権についての私の見解>
通貨発行権について、国、政府に帰属するということで間違いないかと思う。
と云うのも、通貨の単位及び貨幣の発行等に関する法律(昭和62年法律第42号)の第4上には、「貨幣の製造及び発行の権能は政府に属する」とある。貨幣とは500円や100円などの硬貨のことだが、法貨として認められる千円札や1万円札などの紙幣は銀行券である。
市中に流通する紙幣は政府の通貨発行権による貨幣発行に伴い、日銀が紙幣(日本銀行券)を発行し、その後市中に出回るものと私は解釈している。
日銀への指示等は国務大臣である財務大臣に権能があるので、つまり政府がその権能を有しているということになろうかと思う。

因みに、日本銀行法の第4条には「日本銀行は、その行う通貨及び金融の調節が経済政策の一環をなすものであることを踏まえ、それが政府の経済政策の基本方針と整合的なものとなるよう、常に政府と連絡を密にし、十分な意思疎通を図らなければならない。」とあるので、日銀は独立した組織とは云え、政府と整合性を持つことが基本である。
更に付け加えると、同じ日本銀行法の第8条には「日本銀行の資本金は、政府及び政府以外の者からの出資による一億円とし、その資本金のうち政府からの出資の額は、五千五百万円を下回ってはならない。」とある。
つまりは、日本政府が筆頭株主であることはこの法律が無効、或いは失効しない限り未来永劫続くものと解釈できるのではないだろうか。


フォト短歌「あの道」  
     


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