エッセイコーナー
672.放射能ウイルス等可視化メガネ  2022年3月2日

「天災は忘れた頃にやってくる」寺田寅彦の格言だが、「こなけりゃいいな」「こんな時は勘弁してくれ」などと思っている時に得てして来たりするものである。
私は静かな片田舎に住んでいる為、夜などは地震で揺れる前の地鳴りをよく聞くことがある。
特に一番困るのがお風呂に入っている時や、大の用を足そうとする時である。
お風呂は夏場なら問題ないが、今の様な冬場の寒い時期は困る。地鳴りが聞こえ始めると一瞬構えざるを得ない。
上がろうか上がるまいか、一瞬迷うのである。

また、大の用を足そうと便座に腰を下ろし、力もうとした瞬間に遠くからゴーッという音が聞こえると、一瞬力みが緩むのである。しかしながら踏ん張り始めてからでは時既に遅し。「え~い、後は野となれ山となれ」と開き直るのである。
東日本大震災の余震で何度かそんな経験をしたものだ。
その大震災から後10日程で11年目を迎える。
先日の新聞に「福島第一原発1号機内部に塊状の堆積物」との見出しに目を奪われた。
水中ロボットで、1号機原子炉格納容器の内部調査により確認されたとのことだが、デブリか否かの断定は出来ないとのことである。

目に見えない放射能に晒され、命を削りながら廃炉処理にあたる作業員たちには本当に頭が下がる。感謝しかない。
ただ正直に吐露すると、11年も経っているのに未だそんな段階なのかと違和感を覚えずにはいられない。
危険極まりない廃炉処理、致し方無いのかも知れない。
しかしながらそう思うと、何故そんな危険極まりない厄介な代物を作るんだと云いたくもなる。
技術の粋を集めれば、再生可能で安全なエネルギー開発が進んだに違いないのだが。覆水難収、後の祭りと云うことであろうか・・・。

今はコロナ禍のもと、こちらもまた不安感に苛まれるなか、なんとか辛うじて生きていると云うのが正直なところだ。
それら二者共に共通することは、「目に見えない代物」だと云うことである。
放射能にしろ、コロナウイルスにしろ、もし、目視出来るのなら避けて通れる筈。決して怖くはない。
例えば、放射能やウイルスを目視できるメガネでもあれば、大変有り難いのである。
世界屈指の技術立国と云われて久しい日本、いずれそのうち必ずやそのような製品を開発すると期待している。
そのヒントになるのが、東京大学の森敏名誉教授による放射線可視化の成功事例である。
奥さんのひと言によってその可視化が可能になったそうだが、技術の粋を結集して、可視化メガネの開発を期待したいものだ。その為にも、責任ある積極財政による国の支援が必要であることは云うまでもない。


フォト短歌「孤高のグルメ」  

私のささやかな愉しみ


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