エッセイコーナー
450.私の賢治考(後編)「賢治と青の短歌」  2020年1月20日              前編>>

後編は賢治の短歌について、私なりに掘り下げてみたい。
前編では、歌風の背景に焦点をあて、私見による感想を書き記してみた。
前編でも触れたように、賢治の短歌はあまり高い評価を得ていないようだ。
若書きではないか・・・。
また、短歌は一般的に一人称の詩形的文学と云われ、比喩的表現を用いたにしても、一般的に作者自身の影がちらっとみえたりするものだが、賢治の短歌には賢治自身の気配が感じられないメタファーの詠歌が多いように思える。
その表現技法は直線的であり、現実を超越した心象の世界感、空想の世界感を広げている、と云った印象が強い。
写実を基調とするリアリズム文学とは一線を画している。

賢治の文学は「色彩と光」が特徴的だと云われており、特に色については、「青」が多く用いられている。
青色のイメージとしては、誠実、開放的、知性的などのポジティブイメージを連想するが、反対に不安や悲しみ、寂しさと云った負のイメージを同時にあわせ持っている。
青の多用について、前述のポジティブなイメージとしては、賢治が中学時代(16歳)の修学旅行で初めて海を見たとき、荒漠の海の深青に感動を覚えたに違いない。深く心底にまでしみ込んだ青色を脳裏に残したまま、修学旅行の後半は平泉を訪れ、中尊寺や毛越寺に立ち寄った時に詠歌2首を残している。

・中尊寺青葉に曇る夕暮のそらふるはして青き鐘なる。
・桃青の夏草の碑はみな月の青き反射のなかにねむりき。

2首ともに「青」が用いられている。
また、「青」を用いた詠歌の中で、マイナスイメージを持って詠んだ短歌もある。

「青びとのながれ」
・溺れ行く人のいかりは青黒き霧とながれて人を灼くなり
・青じろく流るゝ川のその岸にうちあげられし死人のむれ

これはおそらく当時、山背などの影響により凶作が続いていた。それを苦にして農民は川に飛び込んだ者がいたのかもしれない。
私は、明治43年の大洪水に注目している。
当時の資料によると、盛岡地区の被害状況が記されているが、それによるとかなりの洪水被害があったとされる。
但し人畜被害はそれほどではなく、2名の死者と1名の負傷者のみとある。しかしながら洪水被害は盛岡地区に限ったものではなかったと考えられる。
盛岡以北や以南の矢巾町や紫波町にもかなりの被害があったのではないだろうか。
記録として残ってはいないようだが、激流にのまれ、流されて息絶えた人達もいたのではないか。それは人のみならず、牛や豚、馬などの家畜、犬や猫などの愛玩動物もいたのではないだろうか。

明治43年の大洪水当時、賢治は未だ14歳だった。
賢治が名づけたイギリス海岸は、泥岩層の為、上流から流された浮遊物がとどまり易い。そのことから、上流域から流された死体がとどまっていたとしてもおかしくはない。 
14歳の少年にとって、その酷い光景はあまりの衝撃であり、心の奥深くにまでもぐり込み、一種のトラウマとなり、人間誰しもが持っているであろう修羅の一片がちらっと垣間見えたのではないかと私は思っている。
そのことから、短歌「青びとのながれ」や詩「ながれたり」更には「春と修羅」への影響があったのではないかと私は推測している。

資料によると、
明治四十三年八月九日より関東、奥羽大洪水。九月二日、宮城、岩手、秋田大洪水、被害甚大なり。
ひるがえって明治三八年の凶作について『岩手県農業史』に、「纏フニ衣ナク食フニ料ナク植物ノ根茎葉等ヲ食シテ一時ノ饑ヲ凌キ為メニ栄養不良ノ結果ニヤ、身躰衰弱ヲ来シ労働ヲ為スコト能ハス唯々一家族相集り手ヲ拱ネ炉火ノ周囲ニ坐視スルノミ」とあり、地域によって差があるが、一般農家の生活は食生活を中心に窮迫に追い込まれ、なかでも被害の大きな山間地帯の農家はまさに名状すべからざる状況であった。
凶作による農産物販売収入の減少及び自給食料の窮乏は、農民生活を圧迫し、特に下層農民においては平素粗悪なる彼等の生活をして益々粗悪ならしめ、或は家屋家什を売却するあり、或は食を減じて労働する者が多い状態となり、富裕なものとても勉めて節約を行い、日雇人は勿論常雇をも解雇して生活を切り詰めねばならなかった。


また、賢治の短歌の特徴として、前述したようにメタファーを取り入れた歌作も多い。
・「青空の脚」といふものふと過ぎたりかなしからずや青そらの脚
・暮れやらぬ黄水晶(シトリン)のそらに青みわびて木はたてり あめ、まつすぐに降り 
 など・・・。

心象の世界、空想の世界観を表現する作品が見受けられ、作者の気配が感じられない漠然とした詠草が多いように思う。そのことは、賢治自身の性格が如実に現れているのではないだろうか。
実直で正直、利己主義をよしとせず、自己犠牲を内包する愛他的精神があるからこそ、自己は「二の次」として、他の者や物に寄り添った作品が多いのではないだろうか。
賢治の恣意的で特異性のある短歌は、前編でも触れたように、短歌のみならず詩や童話など全ての賢治文学は天趣からの贈り物なのかもしれない。


フォト短歌「さざ波」  

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