エッセイコーナー
729.安倍元総理国葬の是非  2022年9月22日

安倍元総理の国葬について、複雑な心境だが、反対の声が高まるにつれ、寂寥の念が強まるばかりだ。
病死や事故死なら兎も角、安倍元総理は無秩序で絶対に看過出来ない暗殺による非業の死を遂げた。
確かに、平和憲法の改正や集団的自衛権の問題、モリカケ問題の疑念は未だに燻っている。
また、消費税の引き上げにより、デフレ脱却の小穴を閉じたことも忘れられない。

ただ、一方で、アベノミクスの導入により雇用の拡大をもたらした。
また、「自由で開かれたインド太平洋(FOIP)」により、シーレーン確保の貢献も忘れることはできない。
また何と云っても、総理辞任後も積極財政を唱え、戦後レジームからの脱却を掲げるとともに、デフレ解消による「経世済民」の標榜、国力の増強を図ろうとしていた。
しかしながらその思い半ばにして、無念にも凶弾に倒れてしまった。
勿論、総理の在職期間が憲政史上最長ということも特筆に値する。

国葬開催の法的根拠として、政治功労者に対する国葬については憲法上の国事行為の国葬(天皇・皇后)とは別に、2001年1月6日施行の内閣府設置法第4条第3項第33号により、国葬の執行云々は、ときの総理の意向を踏まえ、内閣府の行政権に委ねられている。
また、葬儀費用について「税金を無駄に使うな」との声が聞こえるが、今年度予算の予備費から捻出することになっており、全て税金で賄う訳ではない。

勿論、法的根拠や財源云々を無視は出来ないが、前述したように病死や事故死とは異なり、遺憾千万であり惨憺たる死である。
過去の政治功労者の暗殺事件に於いて、五・一五事件の犬養毅や二・二六事件の齋藤實、高橋是清らも、吉田茂のみならず国葬であって然るべきではなかったかと思う。
ただ、当時と今の社会情勢とは歴然たる相違がある。
殺伐とした当時の社会情勢と21世紀の今日とではあまりにも違っている。

それぞれの時代背景により、「暗殺」と云う意味合いも若干異なってくるのではないだろうか。
2022年9月19日(日本時間)、世界から温かく見守られるなか、バッキンガム宮殿前の燦爛たる野辺送りによるエリザベス女王の国葬が無事に執り行われた。
無念の死を遂げた安倍元総理の死も、国民全体が悼み、改めて喪に服しても良いのではないだろうか。


フォト短歌「古墓所」 フォト短歌「照り秋」


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