エッセイコーナー
58.亡き友に捧ぐ  2013年9月21日

先日の地元紙の朝刊で、「亡き友へささぐ柔の形」というタイトルが目に止まった。
8月31日に行われた第22回岩手県柔道形演武大会に於いて、一関市赤萩在住の松岡良浩(一関柔道協会理事長・50才)
五段と同市萩荘の佐藤一利(25才)二段の両名が、優秀賞に輝いたとのことだった。今から10数年前、松岡氏の学生らいの友であり良きライバルでもあった石川康樹(故)氏と同演武大会に出場する予定だった。
当時両名とも、仕事に追われながらも寸暇を惜しんでひたすらその大会を目指し稽古に励んでいた。
だが大会を2ケ月後に控えたある晩、無念にも石川氏はトラックの衝突事故により帰らぬ人となった。
未だ不惑前の30代後半であった。

その突然の訃報に、松岡氏は痛哭し言い様のない愁嘆の念に襲われ、暫くは立ちあげれなかったという。
道着を着ることすらできなかったとのことだった。
結局、当時の演武大会への出場を諦め、暫くしてから母校一関学院高等学校柔道部のコーチを引き受けるなど学生らの指導にあたっていた。
そんな矢先、自身が理事長を務める一関柔道協会所属の佐藤一利二段とともに、再度演武大会にチャレンジすることになった。
同演武大会は「投」「極」などの七つの形があり、そのうちの一つ「柔の形」に出場。
そのなかでも松岡五段は「取」、佐藤氏は「受」を受け持ち大会に臨んだ。

ついに念願の出場を果たし、地元一関柔道協会では菊地俊郎(一関柔道協会副会長)さんらがやはり優秀賞に輝やいて以来、17年ぶりの栄冠を手に入れたのだった。
松岡氏が謂うには、形の途中時折前にのめりそうになったり、バランスを崩しそうになった時など、どういう訳か自然に姿勢が正されたと話していたが、当時一関商工高校柔道部三羽烏とうたわれ、地元の学生柔道界では知る人ぞ知る一人であった前出の石川氏や、元陸前高田市在住で、東日本大震災で津波の犠牲になった村上(故)氏が、演武の途中見守ってくれたのではないかと話していた。

正しくそのとおりだったのかもしれない。
友人おもいで、誰彼問わず公平に人と接し、他人のことを我がことのように心配し、気遣う心優しい松岡氏の人柄だからこそ、彼らは天国から応援に駆けつけて来たのではないだろうか。彼の為人が如実に物語る逸話であった。
因みに松岡氏の生業は柔道整復師であり、一関学院高等学校の直ぐ近く、国道を挟んで南側に松岡整骨院を営んでいる。黄色の看板が目印だ。

治療の腕前は勿論だが、彼の優しさがしみじみと伝わり、心までもが癒やされる施術を受けてみては如何だろうか。
指導問題や不祥事で何かと世間を騒がせた柔道界だが、個々の人物をみれば皆素晴らしい人物ばかりである。
古き慣習に流された古き体質に問題があるのかもしれないが、じきにそれも解消されるものと思っている。
ただそれと同時に、数十年後、或いは数百年後に、「かえって昔の体質の方が良かったよな~」などと、未来の賢明な人達は思うような気がしてならないことを、一応記しておきたい。・・・

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